昨日、東京の蒲田で開催された「伝統療法カンファレンス」に東京操体フォーラムの一員としてこのイベントに参加させて頂いた。
こういった様々な伝統療法が行われている場には初めて参加したのだが、本当に沢山の驚きと気付きがあった。
まず会場入りして最初の驚きは一般の方達の健康に対しての熱意である。このイベントに参加するまでの私のイメージでは参加者のほとんどは、それを職にしている人やカラダの健康に困っている人達が来るのを想像していたのだが、参加者の中には若い人達も多くいて、熱心にどういったことをしているのかを見て、体感し勉強されていた。
こういった光景を目にすると自分が想像している以上に、世間の人達は健康に目を向け自己管理の責任を全うしようとしているように思う。それが忠実に表わされていたのが私達の施術を受けに来られたお客様の反応であった。
操体の臨床を初めて受けに来る人のほとんどの人は施術の最中に思考が働いてしまう。
どういうことをしているのか、自分は何をされているのかと考え、最初はなかなか感覚を聞き分けることが出来ない。それは仕方がないことだと思うが、昨日来られた方達はそういった思考の関与がなく限られた施術時間の中で「快」を味わい自分のカラダの変化を愉しんでいられたように思う。それが出来たのも自分のカラダに対し自己責任を全うしようとしている姿勢の表れなのだと思う。
また、あの空間に身を置き感じたのが「操体の素晴らしさ」であった。他のブースと比較すると私達が施術を行っていたブースはとても静寂な空間で、他から悲鳴にも聞こえる声にも影響されないとても静かな空間であった。それは施術者と患者と、私達が作っている空間が臨生という空間を作り、お互いが「快」を共鳴している豊かな時間であった。
こういった豊かと呼べる時間・空間こそが操体の臨生の醍醐味であり、独自のものだと思う。受けに来て頂いたほとんどの方達から聞かれた「きもちがよかったです」、「今まで体感したことがない不思議な感覚でした」という声も操体の持つ魅力だと思う。
このカンファレンスに参加出来たことは改めて自分が学んでいることの素晴らしさを実感するよい機会となった。他の手技が行っている「術」は素晴らしいものだと学ぶ機会でもあったが、他の手技にはない「感覚を聞き分ける」というシンプルで奥が深い操体の素晴らしさはあの場に身を置かないと分からなかったことである。
三浦先生、畠山先生、瀧澤さん、寺本さん、新さん、香さん、一日ありがとうございました。