東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

『もう、あなたって本当に鈍感なんだから・・・』

長野の佐助実行委員からタスキを受け取りました福岡の秋穂です。今回のブログのテーマを決めきれていなかった中で佐助実行委員のブログを読み、その中で気になったキーワードをテーマにしてみようと思います。今回、私は快のききわけの出来ないからだ「鈍感なからだ」について私の体験や思いをブログに綴ってみたいと思います。私達、東京操体フォーラムの実行委員は勿論ですが、このブログを読まれている読者の方も操体に興味を持っている方がほとんどだと思いますので、快適感覚をききわけることが自然治癒能力に直結する生き方である事を充分に理解し実践しているので問題はないのですが、我々が日々の臨床の中でふれ合う患者さんのほとんどはからだに快適感覚をききわけるということを行わないまま、からだを歪体化させて症状疾患を抱えてしまった、鈍感なからだをもって来院されます。そして操体の臨床を通して行く中で、自身のからだとの関係性を深め、感覚のクリーニングを行いながら、感性を高め、快のききわけの通る感受性の豊かな「操体的なからだ」になって行きます。操体の臨床はさながら快適感覚の学校であるともいえます。話を鈍感なからだに戻して行きましょう。それでは何故私達のからだはこんなにも鈍感になってしまったのでしょうか。そういえば以前、ある国の総理大臣の方が『鈍感力』という本に感銘を受けたというエピソードを聞いた事があるかたも多いと思います。

鈍感力

鈍感力

この本を私は読んだ事がないので実際に内容については細かく触れませんが、この『鈍感力』について著者の渡辺淳一先生のインタビューの中に大変興味深い文章が有りました。『上に行く人や大きな仕事を成し遂げるような人は、周りから見たら、ある種の狂気を宿しているものです。「これをやるぞ」と心に誓ったら、周りから何を言われようが、どう見られようが、おかまいなしに没頭する。だからこそやり遂げられるのです。』これは確かに真理だと思います。操体の世界でも、創始者橋本敬三先生はもちろんの事、当フォーラムの三浦寛理事長を筆頭に操体狂いが多数在籍しています。しかしこれは鈍いのではなく、からだの中心に軸が立っているから余計な事にぶれないでいられるのであり、とてつもなく高い精神性の成せる技なのではないでしょうか。渡辺先生も鈍感であることを肯定的に書いてあるので、恐らくこのような高い境地に至る事を他のものに影響されにくい、鈍感力が高い状態と言う形で表現してあるのでしょう。しかし、いくら鈍感力が高くとも、あまりにも1つの事に没頭しすぎるのは必ずしも良い事ではないのかもしれません。あまりにも緊張感が強すぎます。私達がいくら操体に狂っているとはいっても、操体は快適に生きる為の生き方全てを包括的に捉えた学問であり、そもそもライフスタイルの一部です。上手く自分自身と対話しながらバランス感覚を磨いているので、少々のストレスや軋轢は上手くかわせるのだと思います。もしかしたら『鈍感力』とはバランス感覚であり。『操体力』なのかも知れません。明日も引き続き『鈍感なからだ』について書かせていただきたいと思います。ありがとうございました。

2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催