東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

不可視なるもの(プロローグ)

今年は寒さが厳しいと、毎年言っている出雲之国住人福田です。
今週一週間またまたお付き合い下さいまし。。。

毎度のことながら、この東京操体フォーラム実行委員ブログは、
書き物が苦手な私の頭を痛めてくれて、毎回悩ましい二週間
(準備構想を含む)を送ることとなります。
中には日々書いておいて、ストックしておけば良いじゃないか?
と親切心から言われる方もいらっしゃいますが、そこはそれ、
妙なこだわりがあって、その時感じているタイムリーな感覚を
ブログに反映させたい。との思いもあり、毎度毎度悶絶しているわけです。

ですから、クライアントの方や、うちの受講生の方々に「ブログ面白かったですよ〜」
などと軽いタッチで言われると、嬉しさ反面、代わってくれ〜とバトンを渡したくなる
衝動に駆られつつ、ニッコリと微笑む私でした・・・

毎回、テーマを特に決めずに各実行委員の感覚に任せて戴いている
ブログですが、私の今週のテーマは『不可視なるもの』を一週間の
通しテーマに出来ればと思っております。

私は以前のブログにも書いたのですが、昔から目に見えないもの、
数値化出来ないもの、特定の人にしか感じることの出来ないものなど、
いわゆる不思議系の世界が大好きでした。

古くはゲゲゲの鬼太郎に始まり、あなたの知らない世界、修験道古神道
など出雲地方に住んでいる影響もあるのか?と思いつつも、未だに興味が
尽きることがありません。

子供の頃から神棚に手をあわせたり、日常会話や親の躾にも神様のバチが
あたるぞ!などと、脅された記憶が鮮明にあります。そう考えると、当時の
親は子供に対して、無意識に不可視なるものへの畏敬と重要性を躾の中で
説いていたと思います。

これは大変重要なことで、目に見えるもののみが、真実で、数値化出来ない、
論拠証拠がないものは信じるな!的発想の多い現代においては、心が痩せて
いる人が多いのがハッキリと分かるのです。

特に親の世代がその様な観念で物事を捉えている場合は、子供にその影響が
顕著に表れます。
目に見えないものの存在を知ると、畏れ(恐れ)が生まれます。畏れがある
とは自分自身を律することや、他のものに対して敬う気持ちがそこには生まれます。

現象面だけを捉える生活を繰り返していると、目に見える結果だけが全てとなり、
精神論は時代錯誤だ!などと言った、訳の分からない論法になってしまいます。

ですが、間違いなく人間を突き動かしているのは精神であり、それこそ目に見えない、
希望や夢を原動力に人は生活をしているはずなのです。
どんなに不信心な人でも身動きとれなくなり、万策尽きたときには思わず神様、
仏様助けてと見えない何かにすがりたくなるはずです。

人とは自己都合で生きている動物ですから、とかく普段、身の回りの人や自然に対して、
感謝の言葉をかけたり、思ったりする機会は少ないですが、それこそが、重要なことであり、
言葉に出すことが幸せへの大いなるヒントなのです。

人とは見えない何かに動かされている動物であり、見えない何かのお陰で活かされている
イノチでもあるのです。
などといったことを含め、今週一週間は書いてみたいと思っています

2013年4月28日 東京千駄ヶ谷津田ホールにて
春季東京操体フォーラムを開催致します。