受け入れる器を洗練させていること、磨き上げていくこと、シンプルにすること。
そうなっているんだな、と実感していくことにおいて、
指導者は何も人との接触のみに限りません。
ラジオ、テレビ、書物であったり、インスピレーションであっても、導かれるときは導かれるものです。
私自身も「からだ」を通して大切にしているのは、闇の帳から感じ取れる情報です(深夜から早朝)
「オイ、起きているか?」「一番シンプルで、一番愛に満ちて、一番調和を図るのはなあんだ?」
しょっぱなから質問ですか・・・?勘弁して下さいよ〜太極の意志じゃないですか・・。
一番よいもなく一番悪いもなく、一番は一番だから・・・自分自身のからだ、でありイノチかな・・云々。
「見守り」「これをゆめゆめ忘れないようにな」
・・・ん?夢か?イヤとりあえず書いておこう・・とっまあ、こんなこんな具合で日記に書くわけです。
欲しくて入ってくるもの、欲しくなくても入ってくるもの、この線引きをしているのは誰でしょう。
心を通じて入ってくる情報。ある意識を通して受け入れる情報。情報と言っていいのかわからないもの。
とまあ・・・私達は、知らないうちに多くの情報を受け取っています。
五感の中で一番多く情報を取り入れているのが、特に、”視覚”による情報。
その割合は、8割以上と言われています。
あえて意識しているわけでもなく、入ってきてしまう情報。
視覚情報は、明暗と色彩。
特に「色」は、感情や思考を通さずに影響を与えることも可能なのです。
また、心は特に、その影響を受けやすいとも言えます。
普段、何気ないことでも意識すれば、
その影響を工夫することも可能となるのです。
わかりやすい例を挙げれば、
「赤」は、気持ちが前向きになる。
「青」は、気持ちを落ち着かせる。
心はそれを受けて、どう感じているか。
そうです。ココで大切にして欲しいことがあります。
心の感じかたと、「からだにききわけて」みたことは、
同じではないのです。心はうつろうもの・・ではないでしょうか。
赤をみてエネルギッシュな行動!?
いや・・そんな気分になるどころか、なんだかうるさい感じがする・・・。
それをそのまま、そのまま、そう・・、
「からだにききわけて」どうでしょうか。
あなたの心と、「からだにききわけた」なにか、は・・・同じですかねェ。
もう一つだけ、
「痛覚」の専門書の記載してあり、印象的だったの言葉があります。
痛みにもリハビリテーションが必要であるという事実(現在〜病歴の関与)です。
人が治るというのは、それは、(本人の)”自主性の復活”である。
「自主性」および「独立心」を喪失した状態から回復することである・・・と。
橋本敬三先生の映像を見ていると、来院されている患者さんに語っておられますよね。
「こんないいからだしてんだから!」
もともと、いいいから、その元の「からだにききわけて」みたらいいんですよネ。
きょうはこんなところで・・・有り難うございます。
2013年4月28日 東京千駄ヶ谷津田ホーにて、春季東京操体フォーラムを開催致します。