「万能」はあるのでしょうか。それを求めているのは欲なのでしょうか。
そんなの当たり前といえる「理」もあるのでしょうか。
仮の姿である花びらも現実、真の姿は土の中に広がるのでしょうか。
〜なんとなくしっくりこない〜
「イイじゃない似合ってるよ」
「ウン、ピッタリだよ」
人にはほめられてはいるものの、なんだか、しっくりこない。
ピッタリだなと感じられるものとは何なのか?
小さい頃からそれを知りたかった。実感を伴いたかった。
自分の感じている、この感覚を共に分かちあうこと、
それは大人になるにつれ、巡り会えるならいいなァ・・・、と。
アノネ・・・いいんだ。我慢はしても無理はしなくていい。
無理に目の前にある状況に合わせなくても、
無理して合わせるその前に、その違和感を大切にしておいて欲しい。
妥協するのは、計算なのかもしれない。
どこから違和感を感じているのか。
どこから引っかかってしまったのか。
分かれ路では、小さな相違を大きくするきっかけを感じなかったかい。
それでもいいんだから・・ネ。
いいかい、焦って急いだら、きけないよ。
それは理に適っていないからわからないんだ。
そう・・・ユックリ・・・で構わない、元に戻ればいいだけなんだから。
しっくりこなかったのは、
「からだにききわけて」みなかっただけじゃない。
「楽」を求めて、「からだの要求」ではない”何か”を求めすぎたのかもしれないよ。
そう。「快適感覚」は、からだ本来の要求している感覚。
「からだにききわけて」しっくりしないときには、しっくりくる理由もあるんだから。
〜生まれてきてヨカッタ〜
性の探求において我が性に命をかける。これなら命を惜しむことはないのです。
私自身という救いを感じ、死生観において気づきを与えられることもあります。
静的良心に通じ、性的両神にも教えて頂きながら、反省する日々もあります。
いわば、食は命なら、色も迷ならぬ”命”にかなっているのです。
大人になる社会のなか、身につけてしまった固定観念や価値観に縛られ、
知られたら格好悪いとか、こんなこと恥ずかしいとか、
傍目に変人と思われるとか、原始的でみっともない・・云々。
いいかい、それは要らないんだ。
そんなモノ身につけていなくてもいい、そんな ”間” は合っていいんだ。
起こっていることに条件を求めず、肯定して受け入れてもいい ”間” は合っていいんだ。
合一には、時間が要らない。そこに満ちているのは愛、
絶対的な信頼感と、絶対的な安心感による唯一無二による不文。
あたしゃ・・生まれてきた自由さえ否定している人生なんて、まっぴらゴメンだね。
ね、大自然のオッカサンに感謝できるんだ。それでイイじゃない。
・・・では、このあたりで・・・今週のブログ担当は岡村郁生。
一週間のお付き合い、本当にありがとうございました。
皆様〜春季フォーラムでお会いしましょう!!
そしてお待たせしました!いよいよ明日からは、知る人ぞ知る伝承者、日下実行委員の登場です。。ご期待下さい!!
B2013年4月28日 東京千駄ヶ谷津田ホーにて、春季東京操体フォーラムを開催致します。