東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

p1*[岡村 郁生(おかむら いくお)『イロ色あるから人生じゃないか』

「万能」はあるのでしょうか。それを求めているのは欲なのでしょうか。
そんなの当たり前といえる「理」もあるのでしょうか。
仮の姿である花びらも現実、真の姿は土の中に広がるのでしょうか。

〜なんとなくしっくりこない〜

「イイじゃない似合ってるよ」
「ウン、ピッタリだよ」
人にはほめられてはいるものの、なんだか、しっくりこない。

ピッタリだなと感じられるものとは何なのか?
小さい頃からそれを知りたかった。実感を伴いたかった。

自分の感じている、この感覚を共に分かちあうこと、
それは大人になるにつれ、巡り会えるならいいなァ・・・、と。

アノネ・・・いいんだ。我慢はしても無理はしなくていい。
無理に目の前にある状況に合わせなくても、
無理して合わせるその前に、その違和感を大切にしておいて欲しい。

妥協するのは、計算なのかもしれない。
どこから違和感を感じているのか。
どこから引っかかってしまったのか。
分かれ路では、小さな相違を大きくするきっかけを感じなかったかい。

それでもいいんだから・・ネ。
いいかい、焦って急いだら、きけないよ。
それは理に適っていないからわからないんだ。

そう・・・ユックリ・・・で構わない、元に戻ればいいだけなんだから。
しっくりこなかったのは、
「からだにききわけて」みなかっただけじゃない。

「楽」を求めて、「からだの要求」ではない”何か”を求めすぎたのかもしれないよ。

そう。「快適感覚」は、からだ本来の要求している感覚。
「からだにききわけて」しっくりしないときには、しっくりくる理由もあるんだから。

〜生まれてきてヨカッタ〜

性の探求において我が性に命をかける。これなら命を惜しむことはないのです。
私自身という救いを感じ、死生観において気づきを与えられることもあります。
静的良心に通じ、性的両神にも教えて頂きながら、反省する日々もあります。
いわば、食は命なら、色も迷ならぬ”命”にかなっているのです。

大人になる社会のなか、身につけてしまった固定観念や価値観に縛られ、
知られたら格好悪いとか、こんなこと恥ずかしいとか、
傍目に変人と思われるとか、原始的でみっともない・・云々。

いいかい、それは要らないんだ。
そんなモノ身につけていなくてもいい、そんな ”間” は合っていいんだ。
起こっていることに条件を求めず、肯定して受け入れてもいい ”間” は合っていいんだ。

合一には、時間が要らない。そこに満ちているのは愛、
絶対的な信頼感と、絶対的な安心感による唯一無二による不文。

あたしゃ・・生まれてきた自由さえ否定している人生なんて、まっぴらゴメンだね。

ね、大自然のオッカサンに感謝できるんだ。それでイイじゃない。

・・・では、このあたりで・・・今週のブログ担当は岡村郁生。
   一週間のお付き合い、本当にありがとうございました。
   皆様〜春季フォーラムでお会いしましょう!!

そしてお待たせしました!いよいよ明日からは、知る人ぞ知る伝承者、日下実行委員の登場です。。ご期待下さい!!


B2013年4月28日 東京千駄ヶ谷津田ホーにて、春季東京操体フォーラムを開催致します。