東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

病気と自己責任

今週は日下が担当です。 テーマは操体療術家らしく「病気と自己責任」ということで。
 今回は病気というものの真の姿と、その病気になるための素因である息食動想と、それに皮膚を加えた自己責任との関係性について考えてみたい。 まず、病気で苦しんでいる人は、病気とは何であるのか、ということを理解しなければならない。病気というものは、からだが持っている本能の働きであり、健康を回復しようとする尊い努力の賜物であるということを。
 たとえば病気になって熱が出るのは、高熱によって害菌を掃滅している姿であり、その発汗によって菌毒を排泄する働きをしている。また痛みが出るのも、その痛みによって血液を患部に寄せ集めて、病根を清掃している尊い相であり、嘔吐をするのも、下痢をするのも、すべて毒物を一時も早く排出しようとするありがたいからだの活動である。したがって感謝こそすれ、闘病などと称して病気と闘うなんてことを言い出すのはとんでもない話であり、からだに対して恩知らず、恥知らずであると言うしかない。

 およそどんな病気にしても、正常な健康を、一刻も早く回復しようとする働きがないものはない。そんな自然の条理が手に取るようにわかってくれば、人はまず、病気そのものに感謝せざるを得ない。感謝というのはこのようなことを言う。「病気になってありがとう」そのように心で合掌できるようになったとき、病気の半分は、そのとき、もうすでに治っていると思ってよいのである。
 なぜなら、感謝することで明るい心になれることと、からだが教えてくれる治療の方法を過らなく、受け取ることができるからである。反対に病気を悪いもの、と思い込むと、何よりもまず、たちまち自律神経が弱ってしまい、血管と内臓の働きが落ちてしまう。たとえば心配すると胃の活動が落ちるという体験でもわかることだ。

 最近流行の「癌」! これもありがたいと思うしかない。本当に癌というものは、ありがたいものなのである。もし癌ができていなかったら、もうすでに死んでいたかも知れない。からだの本能が、一生懸命に癌をつくってくれて、他へその毒が散らないように、その部分だけに押さえ込んでいてくれている。
 洪水のとき、堤防の土手に砂袋を重ねて水を防いでくれている自衛隊の方々を、我々はきっとありがたいと感謝するにちがいない。癌の症状は、その土手に詰まれた砂袋であり、まず心から感謝しなければならない。それから癌を起こさないような、正しい生活を実践することで、血液を清めることができる。血液が本当にきれいになれば、どんな癌でも、洗い流されて消えてしまうしかないのである。事実、いかなる種類の癌であっても、手術や薬剤によらずに治る、いや治るのが当たり前である。

 病気になったら、からだの本能への感謝と、正しい生活の実践を実行することで、血液は浄化され、病気は洗い流されてしまうものだ。病気の症状というものは、からだの本能からのメールであり、病気になったその時、「症状」というメールを開けて、よく読み通したらよい。何をしなければならないのか、ということを症状自身がよく教えてくれる。
 たとえば熱が出たら、脚湯、半身浴などを行うことによって意識的に頭寒足熱状態をつくり、もっと汗が出るようにすればよいし、吐き気がしたら、指でも突っ込んで、もっと吐くようにし、食欲がなくなったら、水分だけは補給して、絶食すればいい。また痛むところがあれば、からし湿布などしてその部分に血液をたくさん集める算段をすればいいのである。しかしこのような処置はあくまでも応急的な処置であり、病気をつくった本当の原因は、必ず別にあるのだから、その原因を追求して取り去らなければならない。それが「症状というメールをよく読む」ということである。

明日に続く

2013年4月28日 東京千駄ヶ谷津田ホーにて、春季東京操体フォーラムを開催致します。