東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

最近のお気に入り。

おはようございます。

今年はダブル式年遷宮の年ですね。その為か、今まで知らなかった事が
自然と情報として入ってきて、何だか嬉しくなるやら、愉しくなるやら
日本人というのは素晴らしい民族だと、改めて感じたりもしています。
今まで神社というと、商売繁盛とか家内安全などを祈願するぐらいの
認識しか、持ち合わせていませんでしたが、本当は本当に凄いんですね。
それはさておき。最近、お気に入りの歌があります。

「何事のおわしますかは 知らねども かたじけなさに涙こぼるる」

 嬉しかったとき、愉しかったとき、この歌を口ずさむと、なんだか
嬉しさ愉しさが倍増され、有り難い気持ちになる。臨床(臨生)の後は
特にそう感じる。
 この歌は、歌人であり僧侶でもあった西行が、伊勢神宮に参拝し
その森の中で感じたことを歌ったものだという。
 この感性、この表現力。そして、縦から入ったものを右で感じて、
左で素直に言語表現して、縦と横を交叉させているとでもいうのだろうか。
その素直さ。本物だと感じる。
 出家して仏門に入った僧侶が、神道伊勢神宮の神木の中で感じて
歌ったものがこれだったということに、ことさら素直さと真実味を感じる。
常人であれば、自分の立場とか、今まで蓄えてきたものとか、総じて自分
の我というものが邪魔をして、こんなに素直に歌うことは出来ないのでは
ないだろうか。
 信仰といったものは、神や仏が創ったのではなく、人間がそれを感じて
敬い、尊ぶ心が、かたちづくられていったものだと思う。だから色々あって
良いし、みんな尊くて良いのだと思う。しかし、理屈で理解しただけの知識
のみの信仰というのは、おかしな方向に行ってしまうと思う。
まずは感じるという事。心のモヤを取り去り、意識で感じること。
そして素直に理解としていくこと。その理解の上で、それまでの知識を更新
させ、積み上げていくことが大切なのではないかと思います。

光は常に降り注いでいる。モヤを払って受け取るかどうかは自分次第。
光なくして成長なし。