東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

心経と身経。

おはようございます。

操体法の創始者、橋本敬三先生は、NHKラジオ第一放送に
出演した時、般若身経について、アナウンサーから、そう名付けた
狙いは?と質問され、次のように答えている。

「僕は仏教のこと知らんけれども、お経で一番短いのが般若心経
だそうですね。だから身体のことで一番簡単にいえば、気分的な規則
みたいなことをいえば、般若身経のほうがいいんじゃないかと、
ちょっと野次馬根性でそんなふうにしてみたわけですよ。
やってるうちにだんだんわかったけれども、般若心経のシンは
仏教では「心」だけども、身体の身のほうは健康の問題に関係すると
思うけれども、「心」と「身」は別なものじゃないんだ。表裏ですよ。
だから、どっちでも同じことだと思っている。」


 般若心経」は、釈尊の悟られた内容を論理的に示されたもので、
宇宙の法を述べたものとされている。そして、よく言われるのは、
内容を理解しようとするよりも、とにかく唱えることが大事だと。
宇宙の法と言われるぐらいだから、それだけ人智を超えたものが
あるのだと思う。

 これも、よく言われることだが、ほとんどの人間は脳細胞の
3〜5パーセントしか使っていないという。これは、ほとんどの
人が左脳優位で言語で理解できる事や、誰の目にも確実で共通認識が
できる事柄ばかりを対象としているからなのではないのだろうか。
しかし、言葉で表現できないことや、言葉で表現してしまうと真実
からは離れてしまう事柄、目には見えないが確かに自在しているものは
確かにある。むしろ、こういったことの方が多いと思う。

 だから「般若心経」も、脳細胞の3〜5パーセントしか使っていない
表在意識の範囲で、いくら理解しようとしても無理があるのだと思う。
 だから、内容を理解しようとするよりも、唱えることの方が大事だと
言われるのではないだろうか。表在意識を取っ払って、無心になって
唱えることで、何かを感じ、気づきを得、真理を悟っていくという事
なのではないだろうか。表在意識の世界でどうこうするのではなく、
見えない世界を知る潜在意識から学ぶ世界でもあると思う。

 「唱える」ということは、「からだの動き」でもある。そして、
「心」と「からだ」、橋本先生がラジオ放送で答えたところでいう「身」
は、中枢神経を介してつながっており、「心の動き」と「からだの動き」
は同時相関相補連動性となっている。正に表裏だ。そしてイノチを宿す
「からだ」つまりここでいうところの「身」は潜在意識を宿している。

 だから、僧侶の方は「般若心経」を唱える時、姿勢を正し、至誠を
もって唱えているのではないだろうか。良い姿勢、つまり自然体に近い
姿勢で唱えるほど、心は落ち着き、その唱える言葉の波動は、潜在意識と
共鳴し表在意識の範囲ではどうにもならない真理に気づかせていただける、
ということなのではないだろうか。

 ということは、健康の基を正し、自然体(健康体)としての、あるべき
姿を問いかけ、それが成り立つ理と、約束ごとが示されている身体運動の
法則に則って行なう「般若身経」という行は、「般若心経」を唱えるという
行と同じであり、心の動きとからだの動きが表裏であるように、表裏なの
ではないだろうか。

 橋本先生は「お経のように、からだの使い方、動かし方にも法則がある
んだ」とも語っていたと聞く。「般若身経」も、お経を唱えるように、
私心を捨て、からだの使い方、動かし方からはじまる身体運動の法則に
則って行い、体感をとおして身悟りしていくものなのだと思います。