まいど往生中のヒヨコちゃんなんですが、
往生させてくれるような先生がいるということは大変ありがたいことなのかもしれません。
そして往生中は妄想もどんどん広がります。
ところで、そもそも操体(法)には
「刺激」という概念がないというのはどういうことなんでしょうか?
そこで「刺激」の意味を調べてみると・・・
1)生体に作用してなんらかの現象や反応を起こさせること。
特に知覚感覚に作用して反応を起こさせること。またその原因となるもの。
2)物事の働きを活発にさせるきっかけとして、外から作用すること。また、そのもの。
(デジタル大辞泉より)
なるほどなるほど。
「刺激」ってのは外から作用して生体になんらかの反応を起こさせることなんですネ。
そう考えるとやっぱり三浦先生の言われる通り、操体には「刺激」って概念はないかもしれません。
だって操体はからだにききわけるもの。外からではなく内への問いかけなんですから。
それに操体法は治療的な要素も持ち合わせますが、治療(法)ではないんです。
治療(法)ということであれば「刺激」はピッタリなんですが、
そうでないとなるとやっぱり「刺激」というキーワードはしっくりときませんネ。
では「接触」ってどんな意味なんでしょう?
1)近づいて触れること。触れ合うこと。
2)他の人と交渉を持つこと。
近づいたり、触れ合ったり、交渉を持ったり・・・
う〜む、「刺激」が何となく一方通行的な感じがするのに対して、
「接触」は何かと繋がりを持とうとするような感じがしないでもありませんナ。
もしかしたら操体法の皮膚へのアプローチは
皮膚を通して何かと繋がろうという意味合いもあるのかな?なんて気もしちゃいます。
外から一方的に「刺激」を与えて生体を反応させようとするのではなくて、
皮膚への「接触」によりからだの内と繋がって
生体の力が自然に働けるように手助けをしてあげる。
皮膚へのアプローチってそんな感じなのかもしれません。
つまり、「接触」ってのは何かと繋がるために行う手だての1つであって、
「軽く」とか「強く」とか、「触れる」とか「触れない」とか、
そんなことはたぶんあんまり関係ない。
「接触」という意識の問題であって、三浦先生はそういうことを教えてくれたのかもしれません。
だとしたら指圧も何も関係ありませんよネ。技術・テクニック的なことではないんですから。
では「接触」により一体何と繋がるんでしょう?
もしかしたら そいつ や それ と繋がるんではないかな?
そして、もしかしたら それ が操体(法)の本来の姿なんでないかな?
なんてヒヨコちゃんはどんどん妄想しております。
つづく
中谷之美