操体(法)にはいくつかの大事なキーワードがあります。
まずは「楽」と「快」。ふんふん、操体(法)の屋台骨ですナ。
そして「救い」と「報い」。なるほど、橋本哲学の中軸と言えます。
さらには「刺激」と「接触」。うむむ、これも見逃せないポイントです。
三浦先生は主に皮膚へのアプローチ(渦状波)において
「接触」という表現を用いられますが、そもそもなんで「接触」なんでしょうか?
その理由の1つは著書である『皮膚からのメッセージ』(たにぐち書店)にこう書かれています。
「〜 それは操体法の原則を貫くことにあった。
操体法の臨床には刺激という観点、概念がないのである。
元々刺激を根底にした問いかけがないのである 〜」。
これはいきなりトドメを刺されるような言葉です。
つまり操体では何をするにしても「刺激」という概念がないんですネ。
そこからスタートしているわけですから、三浦先生にしてみればきっと
「刺激」と「接触」を並べること自体が?ということなのかもしれません。
もちろん実際の臨床においても「刺激」と「接触」の違いは大いにあるわけで、
そうした違いによる生体への反応も同書に書かれております。
操体を学ばれる方はぜひ読んでみていただきたい本の1つなのですが、
この「接触」についてはワタシもいろいろと考えさせられたことがあるんです。
操体法の皮膚へのアプローチは「刺激」にならない「接触」によって行われます。
実際にうけたことのある方ならわかると思いますが、その「接触」はごくごく軽いものです。
そこで普通に考えたら「そうか、軽く触れてるから接触なのネ」なんて安易に思っちゃうところなんですが、
それだけではちょっと納まりきれない部分もあるようなんです。
なぜならワタシは指圧をやりますが、
その指圧に対しても三浦先生は「接触だ!」と教えてくれたんです。
「え゛ぇ!指圧って押(圧)すじゃん!」。
ヒヨコちゃんは、またまた往生です。
つづく
中谷之美