「型と意識」
アスリートだけでなく身体を使って何かを表現することには「型」という作法があり、その先に「技」という応用がある。何をするにしても「型」を身に付けることが最初の一歩だと言える。
私は中学の時にやっていたサッカーではゴールキーパーをしていたのだが、これほど「型」が大切だと思ったスポーツは今までになかった。
それまでに行ってきた体育のスポーツは見よう見まねである程度出来たのだが、ゴールキーパーだけは運動神経だけでどうにかなるものではなかった。それは運動理論や運動センス以上に「型」という基礎が必要とされ、それが身についていないと何も出来ないポジションだった。
当時の私は基礎を毎日繰り返し練習することで「型」を無意識の習慣としてカラダに覚えさせるように努力したことを昨日のことのように覚えている。「型」を身に付けた先は驚くほどすんなり必要な事が身についた。技術・戦術的なことだけでなくチームメイトのことにも気が配れるようになった。つまり「型」を身に付ける意味とは自分の意識を変えることにも繋がるのだと思う。
こういった私が身に付けてきたことと現在学んでいる操体はとても通じるものがある。前記に書いてきたことは操体でも同じで作法を行う意味は決してカラダの軸と重心を作ることだけが目的ではない。これは何をするにしても共通していえることかもしれないが基礎を身に付けていく段階での意識の変化が大切なのである。その意識の成長が「心・技・体」全てのパフォーマンス向上に繋げるためのものだと思う。
そのように捉えていくと「学ぶ」ということは己の「生き方」を変えることでもあり、学んでいることの奥が深ければ深いほど平行して自分が本来の自分になっていくのだと思う。