東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

脳とカラダの相関性について

「心は脳に、意識はカラダに」

人間の心は一体どこにあるのだろうか。古代ギリシャアリストテレスの時代においては心は心臓にあると考えられていたようだが私的にはこの説はどうも腑に落ちない。確かにこういった事を考えなければ心を示すシンボルマークにハートが使われたりするので心臓にあるという認識を無意識にしていたかもしれない。しかし人間が命の営みを全うしていく中で動物と違い「感情をコントロール出来る」という点において、この説には矛盾があるように思える。やはりヒポクラテスプラトンが説いているように心は脳にあるものだと私も思う。

では意識はどこにあるのかを考えていくと私は脳や心臓ではなく、人間のカラダのあらゆる箇所にあるものだと思う。具体的にはカラダを使わせて頂くうえで意識出来る箇所、つまり手足や腰、または目や鼻等である。特に普段から頻繁に使うことが多い手や足、目には己の神聖が宿してあり、意識が生きている箇所だと思っている。操体の講習で受講生は話を聞く時に正座位で手の平を上にして内転筋辺りに置く。これは手の平にある意識と脳にある心を自分自身の一番落ち着く所に納められる作法なのだと思う。人間の脳にある浮き沈む心をコントロールしているのが使わせて頂いているカラダに自在して在る意識になる。


最後になるが講習に参加させて頂く度に操体も新たなステージに進んでいるのだと感じている。現在三浦先生の講習は常に「進化」し「更新」し続けているので一回でも講習を休むと取り返すのに2、3倍の時間を要してしまう。

畠山先生も今回のブログで書かれていたが、岡村さんや半蔵さんのように三浦先生の下で私の何倍の月日を学びに費やしている先輩でさえ、月に何回か三軒茶屋に足を運び現在も自分の学びを深めている。

私も常にそういった先輩方を見習い操体の学びに取り組んできたつもりだったが、今一度自分が構築してきた事をキレイに崩していこうと思っている。それは最近の私の中に「これで良い」という慢心があることに気が付いたからだ。やはり学んでいくプロセスの中で慢心が一番怖いものだと思う。それは私の意識だけでなく、脳もカラダも同じ事が言える。慢心して学習しなければ脳だけでなくカラダの動きもさび付いてしまう。特にカラダで身に付けたことは感覚として身に付けているので感覚が鈍ると取り戻す時間だけでかなりの時間を費やすのである。やはり常に自分が学んでいることだけではなく、命の営みに対し責任を持っていかなければならないと痛感している。

今回ブログで書いてきたテーマも自分にプレッシャーを掛ける意味であえて自分が知りたい、学びたいことを書かせて頂いた。脳とカラダ、そして意識という私が臨床で最も大切だと思っていることをこれからも深めてこういった場で書いていけたらと思う。

一週間どうもありがとうございました。

来週からは半蔵さんです。お楽しみに。