佐助が担当する三日目です。よろしくお願いします。
僕は理学療法士という国家資格を持ち、整形外科の病院やクリニックで勤務し18年が過ぎました。今日は僕が思う医療の整形外科からみた問題点について書いてみたいと思います。(あくまで僕個人が感じることです)
日本の医療は、保険診療により医療行為に対して、保険者(70%)と患者本人(30%)が分担して診療費を支払うことになっています。保険組合への支払方法は、医療従事者が治療や検査などを行った診療行為がすべて点数化され、請求用紙(レセプト)に記入し、診療報酬支払基金に提出されます。支払基金は医療費の審査機関であり、適切と認められれば保険組合に請求書が回されたのち、保険組合でもう1度チェックを受けた後に、診療報酬が支払基金を通じて医療機関に支払われます。
医療行為をおこなった内容が審査されるために、検査をして診断名がついて、その診断名に対して適切な医療が行われているかという流れが大切になります。この流れ以外の行為や、保険で認められていない行為は保険外診療(自由診療)となりますが、保険診療と保険外診療の併用(混合診療)することは原則として禁止されています。
ここにひとつ問題もあるような気がします。それは診断名がつかない場合は、保険診療としての治療ができないということになるのではないでしょうか。
例えば、橈骨遠位端骨折により治療が開始された場合には、ゴールはもちろん骨折部位が癒合し、前腕・手・手指の可動域や筋力が改善されれば治癒とされると思います。そこに痛みが残存したとすると、「気長にみてください」と言われることが多いかもしれませんが、痛み対して敏感、心療内科への紹介ということもあるかもしれません。
これは治癒・完治の基準が、患者と治療従事者の考え方が違うということでしょうか。患者側は痛みを基準に考え、医療従事者は客観的にからだを考えているために起こることなのかもしれません。
僕自身は、患部の治癒過程と痛みという感覚は必ずしも比例して改善するものではないと感じています。また、痛みの原因が主訴とされている患部以外にある場合もあり、からだ全体からのアプローチが必要な場合や、患部中心にアプローチが集中しすぎると、侵害受容器を興奮させ、炎症や痛みを増悪するケースなどもあります。
痛みには3つの種類に分類されています。炎症などの痛みである侵害受容性疼痛、神経の痛みである神経障害性疼痛、心理・社会的な要因によって起こる心因性疼痛があります。
痛みは大脳で認知されて痛みという感覚が生まれるために、様々な要因で痛みという感覚が生まれてきます。最近では、痛みという不快体験を脳内で記憶している場合や、情動を司る大脳辺縁系の一部でもある扁桃帯が関係し、脳内で痛みという知覚を作り出す(ニューロマトリックス理論)こともあることが報告されています。
これらのように、大脳で認知されてはじめて痛みという感覚になることから、患部の治癒過程と痛みの感覚が一致しない理由のひとつになります。
痛みが残存した状態で患部が治癒したと診断された患者や、診察で特に問題がなかったにも関わらず痛みがある場合は、痛みという感覚を和らげたいという気持ちで、民間療法など様々な所に結果を求めて行かれるというケースをよく耳にします。
僕もクリニックに勤務するひとりとして西洋医学の素晴らしいところも沢山あります。西洋医学では画像や血液データなど客観的にからだを診ているために、整形外科では骨髄腫がみつかることや、骨髄炎、蜂窩織炎などが早期に治療が開始できるなど、客観的データだからこそ確定診断が付くのだと思います。ただし、確定診断が付けにくい症状もあるのではないでしょうか。
現在の日本では医療費が高騰し、財政や保険診療を圧迫している現状では医療費を削減しようとする動きがあるのはしかたないのかもしれませんが、混合診療が基本的に認められていない以上、また、客観的に問題がないケース(痛みや違和感のみ)には積極的に治療がしにくい状況にある現状では、民間療法に患者が流れていくのはしかたないような気がします。
良いか悪いかを別にして、患者自身の希望を聞くと、「痛みをとってもらいたい」というのが第一なようです。患者の声を聞くと、なぜその痛みのサインが出ているのかという大切なことを抜きにして、痛みが改善するならば治療場所は西洋医学でも、東洋医学でも、民間療法でも、どこでもかまわないという方が多いというのが現実のような気がします。だからこそこれだけの民間療法が日本に生まれて、世界の中でのこれだけ手技療法が存在する国はないのではないでしょうか。まさに橋本敬三先生が言われているように「日本は宝島」ですね。
今日はこのあたりで・・・。ありがとうございました。