東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

僕とコンプレックスと操体と 3

もし面接であなたの長所は何ですか?と聴かれたらあなたは一体なんと答えますか?私は迷う事無く「基本的にはいいヤツです。」と答えるだろう。性格的には温厚で、与えられた役割に対しては忠実に行なうだけの能力はある。多少頑固なところはあるが、適度にユーモアも織り交ぜつつひとに不快感を与えない程度のコミュニケーション能力も備わっている。世間的には「彼氏にするには物足りないけど、結婚するならこんなタイプ」と言われるタイプかもしれない。しかし自分自身はこの正確が本当に不愉快でなまらなかった。

このような性格は昨日今日出現したものではなく、どうやら幼少の頃から少しずつ育まれて来たようだ。小さい頃の写真といえば、いつもおどけた表情で写っているものがほとんどである。表面的には明るく振る舞っていても、内面では出来る限り優等生的に振る舞って、人に嫌われまいとオロオロしている意気地なしの自分がいる。本当は欲張りで自己主張が強く、自己顕示欲の固まりのような人間なのに、人との摩擦を恐れて出来る限り人に合わせる。人に自分の無力さを知られないように、肩肘はって緊張している。本当は悲しくて大声出して泣きたいのに、自分の弱みを見せるのが怖くて沈着冷静である様に演じてみる。

自分をこんな具合にコントロールし始めたのは、父が独立する為に福岡に引っ越しした位からだ。ちょうど私が小学校に入学する年、当時1万人ちょっとの日本で2番目に小さい市から、その頃で105万人を超える日本で8番目の大都市福岡に移った。今でこそ都会も田舎も対して変わらないが、その当時の私の生活環境の変化が与えるインパクトは少なくは無かったと思う。いつもやさしくしてくれた祖父母とも離れ、共働きの両親が帰宅するまでは、小さい弟とふたりで過ごしていた。そんな不安感の中、自然にこのような摺り込まれて来たのかもしれない。

最近では自分の子供達が、この頃の自分と同じくらいの年齢になり、彼らの成長を皮膚で感じながら、私は私なりにあの当時の自分自身と向かい合っている。自分の子供とふれ合うように、まるで私自身がその当時の父親であるかのように。彼の寂しさ、心細さは人一倍理解出来る。そして彼の両親が本当に彼を愛しているということ、しかし独立したばかりで生計を立てて行く為には、彼らの痛みを知った上でも仕事に没頭せざるおえなかった都合も理解出来る。子供の時にしか理解出来ない感情もあるとは思うけれど、親になってみて始めて理解する事が出来る事も在る。

以前ウチの患者さんが言っていた「操体法を受けると、自分の弱点を嫌という程見せつけられる。肩肘はってがむしゃらに生きて来た自分自身の生き方がからだの緊張を通じて理解できた気がする。」これはもしかするとこの患者さんと云う存在を通してみる自分自身の姿なのかもしれない。操体の臨床は決して一方通行では行うことはできない。動診・操法を通しながら快適感覚をお互いにフィードバックしていく。勿論気持ちの良さの影には、その症状疾患の原因になる不快感覚の存在がある。たとえそれまでが不快で満たされた人生であったとしても、気持ちよさを味わう事でその不快を快に変化させるだけのインパクトを操体法は持っている。操者として患者さんの快適感覚の介助者であるとともに、自分自身の快適感覚の被験者でもある。操者も臨床の中で日々磨かれて行くのだろう。本当に類いまれなる優れた臨床医学だと思う。

そして今目の前で眠っている寝相の悪い息子を見ながら思う。この子に比べると、なんて私は良く出来た子供だったのであろう。もといこんなところで比較対称はナンセンスである。