おはようございます。
昨日書いたように、見るということに関しても、ただ見るだけではなく、からだの感覚のききわけをとおしてキャッチするよう意識する。そして、それらを自分自身の中で縒りをかけて、紡いでいく。ということは本当に大事なことだと思います。
歳がいくつになっても、あるいはどんなに知識が豊富であっても大切だと思います。生かされて生きている限り「もういいや」はないようです。
いや、むしろ歳をとってからの方が重要かもしれない。脳についても、脳細胞同士のつながり、連携の仕方が変わってくるようだ。
若くて機能も充実している時は、片方の脳だけに依存していても、大抵のことは間に合ってしまう。間に合うということは良いことではあるが、その次元でという限定を伴う。次元を超えていかなければ、より良い、縒り良くにはつながらない。
歳をとって脳の機能も衰えてきたという話はよく聞く。しかし、機能が衰えた分を補うように、片方が片方の働きに協力して、より全体的に機能する傾向がみられるという。
最近「左脳・右脳神話の誤解を解く」という本を読んだ。
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カベザらの解釈は、加齢に伴って左右それぞれの脳活動が低下しても互いに協力しあうことによって、左右それぞれの脳が得意なはたらきをしてもたらされた大学生と同じレベルの成績を生み出し、維持できるためとしている。
左右の脳にも、このような協力し合う連係システムがあるということは有難くもあり、悦ばしく思う。左右の脳にはそれぞれ得意、不得意があるが「これは左脳にやらせる」「こっちは右脳に」と分断させるような、決め付けはしない方が良さそうだ。
今の世の中は、左脳ばかりを働かせるような風潮となってしまっているが、片方ばかりを働かせるのは、効率がよくない。また疲労、疲弊にもつながる。右脳の協力も必要だと思う。
言葉にしても、言語の働きを担うのは左脳が優位となる。しかし左脳だけで、そういった働きをしている訳ではない。左脳だけだとしたら、無機的で豊かさが感じられないものになると思える。人間関係もギスギスしそうだ。鍵を握るのは、感覚や感性だと思う。これらが右から左に橋渡しされることで、生きた言葉が生まれてくるのだと思う。
だから「決め付け」や「縛り」を解除し、「今ここ」「今ここ」のからだの感覚のききわけをとおして、左右の連携を縒り密に紡いでいくことが必要だと思う。
老いても積極的に快をききわけ、十分に満足して生きようという意識が大事。脳もそれを望んでいるから、左右両方で協力して、その意識に応えようとするのではないだろうか
また、若いうちからそういう意識を持っていれば、一つの次元にとらわれることのない、よりクリエイティブで豊かな人間になっていくのではないだろうか。
2014年4月27(日)
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