東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

死生観を収める

 仏教的解釈では、人間は生まれて来るときに、四百四の病気を抱えてくる。

だから、発症させないように生きていかなくてはならない・・・という。

 

基礎医学臨床医学のギャップ紡ぐ架け橋、「操体」は未病治の医学である。

今週のテーマ「おさめ」のなか、私自身と「操体」がどのように結ばれたのか。

17年前に「操体」の門を開け、私たちひとりひとりに、三浦理事長が私たちに

放った問いかけた「信仰(宗教観)」は、強烈そのものだった。

 

「(君たちにとって)神仏とは何か?」

余命一ヶ月の人間に(むかって)なんと言うのか?」

「ゆっくりでいいから、自分の遺言状を書くこと」

これらを五年ごとに書いてみるレポートは、自分自身を知ることになる、と。

 

そう!「操体」を学ぶことは「私自身が生きてきた証」そのものなのである。

 

覚えてきたこと・・・腑に落ちていること・・・。

生かされて生きている

操体創始者橋本敬三師の哲学思想、「救い」とはなにか。

 

もともと生命が生まれながらにして救われているという、絶対的な神生

 師もこのように語ったという。

「この世は極楽でした・・・私は先に祖神の里、その元にかえります・・・」

 

師の若き日のサトリ。

もともと生まれながらにして、「救い」が成立しているのが人間。

その人間には、「想(念)」が宿り、神性相続権がある。

ゆえに、一番きもちがいいところから生まれ、またそこに還(かえ)る

 

真の生命医学とは、最先端の医学をさらに生かす礎(いしずえ)となる。

故に「操体(法)」とは、最小エネルギーで最大の効果をもたらす

生まれながらにして備わっている、その「快」を充分に味わうこと。

 

「本人」が忘れても「からだ」は悪くなった箇所を記憶しているのだから、

そのあとの、治すことは「からだ」に任せなさい

 

死生観を学ぶ。この世では試してみればみる程に価値がある。

過去形の意味を嚙みしめてみる・・・「この世は極楽でした」・・・の意味。

 言霊を、私たちひとりひとりの個性で味わいつつ、生まれし理由を、

日々嚙みしめ、生かされつつも、今を生きてゆく。

 

そのうえで「宇宙意識」に触れてみる。

  ある事に懐き強く思い、

  かくあるべしと語るなら

  必ず具現する 心の振動により共鳴し 

  さらに根を共にする多くのものたちを振動させる

                 ~御言霊より~

 

私たちは一人であっても一人だけなのではない。

真理を感じとる仕組みさえも、原始感覚として備わっている。

「からだ」とわたしたちひとりひとりで、収めていけばよいのだ。

 

そして孫世代に受け渡す頃には、私自身「確かに極楽でした」と、

師に語りかけ語られつつ、安心して息を引き取るのだと決めた。

 

それでは、一週間のお付き合いを頂きまして有難うございます。

明日からは、慧眼の師でもある日下実行委員の登場です!                    

                        岡村郁生