おさまるとかおさめるとか、似ているようでちょっと違います。
「豆腐」は箱に豆乳を入れて(納めて)作り
「納豆」は豆を腐らせる(発酵させる)から、漢字的には
逆だよね、という話を聞いたことがあります。
確かにそうだな、と思います。
「おさめ」という言葉で思い出すのは
「見納め」という言葉です。
見納め、または見収めとも書きます。
意味はどちらも同じで、
「これで見るのが最後であること」という意味があります。
つまり、今後見ることがないだろうということです。
見納めというのは、実はとても深い意味があるんです。
例えば、今は映像や動画などで同じものをくり返し
みることができますよね。
私もカメラをやるので分かりますが、
「ああ、この景色は撮っておきたい」と、
見納める前にカメラに収めたい(撮りたい)と、
思います。
ファインダーを覗いた世界と
自分の目でみる世界。
この一瞬を切り取る、つまり
見納めしたくないという、
また見たいという、
人間の願いが結集したのが
カメラとかビデオなのかなと思います。
猫の話になりますが、
私はよく猫を撮ります。
チビ猫(といっても今は結構大きい)を拾ってきた時は
手のひらサイズで「これがホントに大きくなるんかいな」と
心配したものでした。
猫友には
「子猫の時期はとっても短いから、写真を撮るべし」という
アドバイスをもらいました。
というわけで撮りましたが、
本当に「可愛い子猫」というか、我々が
想像しうる「子猫の時期」というのは、本当に短いのです。
子猫はあっという間にミルクを飲まなくなり、
あっという間にカリカリをばくばく食べて大きくなりました。
そして、子猫だと思っていたら九ヶ月で、去勢手術です。
大きくなってから
「いやあ〜、子猫って毎日が見納めみたいなもんだ」と
思いました。
これは子猫に限りませんが、
一期一会というか、これが今生の見納めというか
そういう気持ちで何にでも臨むことなんだなと。
今、操体をやっていらっしゃる、
あるいは勉強していらっしゃる皆さん。
先生や先輩方の模範を見ることがあったら
「見納め」あるいは「見収め」くらいの気概で見てください。
動画とか写真で見返すことはできますが、
生でその波動を心に焼き付けておくことです。
一週間ありがとうございました。
道で出会った美しい若い猫。
こういう若々しく凛々しいのは一瞬だけかも。
明日からは我らが師匠、三浦寛センセイです。
と思ったら、猫の小十郎君が書くそうです。
流しのマタタビ師 畠山裕海