近年、経済の発展によって社会は合理化され、便利な暮らしになる一
方で、暮らしに心の余裕がなくなりつつあることに、うすうすながら
誰でも気付いていますよね。
しかし、時の流れに逆らえず、いつの間にか大切な何かを失うことに
少しづつ慣れて大人になっているのでしょう。
昔は感じることができていた、“人への想い”、“自然の豊かさ、天然の厳しさ”
このことを感じていた頃は、暮らしが不便でも満たされるものがありました。
それはまさに、”清貧”の豊かさ、”足るを知る”、一体感というものでしょう。
ワタシはその基本に「食」の相、つまり「環境」と「想念」の関わりは欠か
せないと考えています。
ティーンの頃に祖母がワタシに教えてくれたコト。
お腹を空かせた日々の食卓、ちゃぶ台ににのぼる温かい食事は季節感があり、
沢山の「想い」がそこに込められていました。
「食」の相から授かった「想い」は代々受け継がれ、伝統として地域や社会
に広まっているのです。
今、本当に大切な判断ができないとしたら「食」の相を見直してみたいですね。
「意志」はただそこに留まること無く循環し、滋養溢れる「想念」と共に!
≪youがme~食相とワタシ~≫
一食一想へ、調和と人間の姿について教えてくれることがあった。
「平食」をするには、習慣と惰性の働きに委ねること。
「悪食」をするには、欲望と享楽の働きを満喫すること。
「断食」をするには、想いと欲求の働きを維持すること。
「不食」をするには、意志と体感する働きを得ること。
「聖食」をするには、一切のとらわれから自由を得ること。
まぁ、我儘と自由の境は、迷惑をかける干渉か否か・・・かもネ。
岡村郁生
※おまけ類語コーナー(大きな字の常用国語辞典~学研~)
・歪む(ひずむ):形がゆがむ
・歪む(ゆがむ):①形がねじれたり曲がったりする。
②心、行いが正しくなくなる
ナルホド!・・・心がひずむとは言わないけれど、心はゆがむという
ワケですねぇ。
では「ボディーの歪み」の場合「〇〇〇」ともいえるのですね。