東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

上手い下手の超越

 操体の講義を聴いていても、下手な受講者というのは、いつもその情報を必ず頭の中にしまい込んでしまう。 その情報はどうやったらその頭から出してこられるのだろう? 果たしてどんな方法が使えるというのだろうか? その方法に 意志の力 というのは本当に役に立つのだろうか? 

 

 いや、意志の力は役に立たない。 本当は意志の力というのは、力などではまったくない。 なぜなら意志とは自我に依存しているもの、非常にちっぽけな現象であるからだ。 とてもじゃないが大きな力など生みだせるものではない。 

 

 逆に意志をもたずにいるとき、そのときには受講者は、力に満ちている。 そのときには、からだ全体で講義を受けている上手い受講者ということになる。 深いところでは、意志力とは一種の無力さのことである。 自分が無力だという事実を隠すために意志をもちだすのであろう。 

 

 我々は、自分自身と他者を欺くために正反対のものを創りだす。 自分は愚かだと感じている人たちは、自分が賢いことを示そうとする。 我々は絶えず自分の愚かさを自覚しているものだから、賢く見えそうなことなら何でもやってのける。

 

 醜い人、あるいは自分は醜いと感じている人たちは、いつも、いつも自分を美しく見せようとする。 それがたとえ、描かれた美、ただ顔の上だけの、仮面の美であってもそうだ。 弱い人たちは常に強く見せかけるものである。 そのように正反対のことが創りだされる・・・・・・。 それが内側の現実を隠す唯一の方法なのである。

 

 故に意志の力というのは実のことを言うと、力ではなく、弱さのことなのである。 本当に力強い人は自分の意志などもっていない。 それは、からだ全体のトータルさというのが上手い人の意志のことである。 それは実在と和合して一体になっているということだ。

 

 ではどうしたらいい? どうしたら頭に中にしまい込まなくてすむのだろう? 具体的には何ができるのだろう? できることはただ一つ。 ただ静かに見守ること・・・・・・ただ内に在って静かに見ていること。 もし受講者に本当にこのように見守ることができたなら、心して見つめることができる、その時には、情報をしまい込む頭は存在しなくなる。

 

 そうなると、突如として、受講者はそれを超えることができる! その状況から出るのではない、それを超えるのである。 そう、突如として受講者は自分自身を超えて彷徨する。 テクニックという名の 上手い下手 を超えて・・・・・・

 

 

2016年春季フォーラムは4月29日(金)開催です。

テーマは「上手い下手について」