「気をつかう」のと
「気を配る」のは、
似ているようで、中身が全然違う。
気を使われるのは、こちらも疲れるが、
気を配られて悪い気はしない。
また「つかう」にも、
「使う」と「遣う」があるようで。
以前から、この違いはなんなのか、気にかかっていた。
「相手に気を使って」いるときは、
「相手に」と言っていても、
心の奥底にある真の目的のようなものは、
実は自分のためだったりするような気がする。
「相手に気を配って」というときは、
先ほどの「魂胆」の部分は見えてこない。
目的のなかに「自分」という項目が見当たらない。
「気を遣う」の方もこちらの意味合いに近いようだ。
以前から、自分は気を使ってしまうことが多く、
気を配るようなことは苦手だと感じていた。
最近になって少し思い当たることがあった。
気を配っているときの行動の背景にはあって、
気を使っているときの行為の背景にはないものがある。
「感謝」もそのひとつ。
行動の背景に、大切なものが抜けていたのではないかと思う。
2017年秋季東京操体フォーラムは、2017年11月23日(木)に開催致します。
テーマは「生エネルギーと性エネルギー」です。
2017年秋季東京操体フォーラム開催!