おはようございます。
施療を施す側は誰でも、病んだ人を助けたい、弱った人の味方になりたいと思っている筈です。その為に病み(症状疾患)に対しての治し方を学び、研鑽を積む。
そして、病みを抱えた人も、そうした研鑽を積み、少しでも評判の良い人に診てもらおうとするでしょう。
施療者、病みを抱えた人、双方の思惑は相対的に一致し、それが当然と思われることでしょう。しかし、両者の思惑には相対的な物事を超えた大切な事柄が欠落している。
それは症状疾患現象の元を正すという事。操体臨床は、ここに重点を置いており、だから常識的に考えれば難しいとか、無理と思われることも可能となるのです。
勿論これは人間の欲の範疇の事柄ではなく、大自然の叡智に準ずる範囲のものです。自分勝手な欲と自然の理とは相容れませんから。
症状疾患現象の元となるもの。それはボディの歪みに表されるアンバランス。それはつまり、自ら責任を持って営まねばならない生命活動が、環境に上手く適応できていないという事。それがボディの歪みとして現れている。
だから、単にボディのカタチだけ整えるのではなく、そのプロセスが大事。動き一つ、呼吸一つでからだのツクリは変化するのだから。
動きや呼吸が、重力をはじめとする自然環境への適応に向かうほど健康回復につながり、ツクリもそれに応じて変化し、結果的に症状疾患という現象も露と消えるという事。
自然の叡智というのは、人間の知識での決まり事(症状疾患への対処)の枠を超えた計り知れないものだと思います。からだの持つ自然良能作用、自然治癒力というものも計り知れない。
人間同士のやり取りには、必ず良い悪いとか、善悪とかが絡んできます。その相対的な枠を超えた絶対的大自然。その自然の理を学ぶ事こそ、真の正義を識ることにつながると思います。
そして、その学びこそ道(タオ)であり、操体の学びに終わりはないのだと思います。
4月30日(月)昭和の日に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です。