おはようございます。
症状疾患を何とかしようとする考え方。そこには症状疾患を悪と決めつけ、やっつけるという考えが見え隠れする。
しかし、その症状疾患現象は本当に悪なのでしょうか?
誰だって痛い思いや、ツライ思いはしたくないと思います。しかし、それはからだからの重要なサインでもあるのです。
痛みを感じなかったらどうでしょうか?そのほうが楽かもしれませんが、からだの異変に気づけず、エントロピーは増すばかり、早くにその生命活動は営めなくなるでしょう。
あまり自分中心になってはいけません。からだあっての自分であり、自分自身なのですから。
からだの声に耳を傾ける。一番身近なからだの声を蔑ろにして、世の為、人の為に(今回のテーマでもある)正義をとおす?
自分ばかりが、もてはやされる事ばかり考えていると、後でしっぺ返しをくらうことになります。あまり独り善がり、自分善がりにならないほうが身のためです
身のためといっても、その為に消極的で良いとか、御身大事で他人様お構いなしでも良いという事ではありません。それでは正義はとおらないでしょう。
イタイ、ツライはからだのサインであり、例えば、動作に当てはめてみれば一旦止まって、自然の法則に背反していないかどうか、からだと向き合ってみるべきなのです。
わざわざ痛くなる様な動きをとおしていて、痛いからやらなくていい、では生活が立ち行かなくなります。そうではなく、そのイタミは、からだの使い方が何か間違っており、それを正してほしい、というからだからのサインと受け取め、改めてみる。それだけでも現象は随分と変わってくる。
症状疾患も悪ではなく、それでも生命活動を継続させようとする一つのバランス現象という見方もできます。だったら悪を生じさせないバランスに自分自身が変化していけば良いのではないでしょうか。その為に、からだと向き合う。結果的に生じている悪としているものも消滅していく。
その為には自然の法則の理解が必要です。理解は必要ですが、アタマで解っただけでは不十分。やってみなければ。しかし、やってみてそのとおりにできるかというと、そうもいかない。アンバランスの度合いが激しいほど、一人では上手くいかないでしょう。
はじめは、操体臨床家、指導者のサポートを受けた方が良いと思います。正義をとおそうとする人の味方ですから。
4月30日(月)昭和の日に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です。