おはようございます。
よく大病した人が、その後の生き方が明るく前向きになった、という話を聞きます。
何故そうなることが可能なのでしょうか。
それは病んでいる時、自分自身と向き合う事で、何か大切なものを得るからなのではないでしょうか。
今を生きる私達は、忙しい忙しくないに関わらず、自分自身と向き合う時間がとれていないのが実情と思います。すぐにスマホとかに手が伸びてしまいますものね。
常に何かの情報に振り回されて、なかなか安息が得られない。病んで、からだが思いどうりにいかなくなって、はじめて何らかの縛りから解放されるのかもしれません。
病んだ事で、ありのままの自分自身と素直に向き合う空間と時間が持てる。何とも皮肉なものです。
その病みの時空でどんなことを考えるでしょうか。「何で自分がこんな目にあわなければいけないんだ?」といった自分中心な想いから、自分の行いの反省に至ったりと様々な想いが交錯することでしょう。
しかし、痛みや辛さが大きいほど、考える事すら困難になり、娑婆を生きようとする心を放下して、ただひたすらからだ(自然)に委ねるしかなくなってくる。
娑婆を生きるための鎧を脱いだ、ありのままの大自然の一員としての自分自身として、自然に委ねる事で安息が得られ、やがて眠りにつく。
捕らわれの心を放下して、自然と調和する時空。それによって得られるもの。それは人によって多少違うでしょうが、自分自身の内部での対立が減って穏やかになるのは確かなようです。それによって、迷いがなくなり少々の事では動じなくなったりとか、自信がついたりとか、腹が座ってくるようです。
人間的に強くなるとは、そういう事なのだと思います。
今回のテーマである「正義」にしても、自分の描く正義というのは人それぞれでしょうが、それを貫く強さが必要だし、時にはそれを変更する英断も必要。一筋縄にはいかないから正義は尊い。
だから自分一人で背負う必要はない。自然の叡智に富む自身のからだが共にあるではないですか。
自分自身と向き合うことで、自分なりの正義のとおし方がみえてくる。
2018年春季東京操体フォーラムは
4月30日(月)昭和の日に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です。