おはようございます。
人は大病したりとか、何か日常とは違う困難に直面し、それを乗り越えた時、人間的に強くなったり一段と成長するという話をよく聞きます。
なにか痛い事や苦しい事を経験しなければ、気づけないことや得られないものがある。確かにそうかもしれませんが、それは感覚とか感じるとか、思考概念と相容れないものを無視してしまうから、そう思ってしまうのだと思います。
しかし、感覚というものに目を向ければ、つらい事を経験しなければ得るものがないとか、成長できないという図式は成立しなくなります。
ひっぱたかなければ、ひっぱたかれた人の痛みが解らないという子供なら、痛みの経験は必要でしょう。ですが、子供から成長すれば、他人が痛がっていれば、その痛みがわかるはずです。それは感覚をとおして識っているからです。だから、他人の痛がる事、嫌がる事はしたくなくなる。
だったら、感覚をもっと鋭敏にして、他人が痛がる事、嫌がる事を未然に防いで、他人をよろこばす事、うれしくなる事を察知してあげれば良いのではないでしょうか。そしてそれを行動に移す。それも正義だと思います。
実際それは程度の差こそあれ誰でもやっている事です。そして、それを高め、からだに当てはめれば未病医学につながるのです。
「上工は未病を治し、下工は病を治す」という言葉がありますが、これも感覚を鋭くしなくては、「このアンバランスな状態では、ここが病気の火種になるぞ」という病の芽を先に摘む事はできないのです。
上工、下工という診る側のことだけでなく、診られる側も感覚をなおざりにしてはいけません。
診る側、診られる側と区別せず、皆からだと共に生かされて生きているわけですから、感覚は大切です。感覚をとおして、からだにききわける、魂にききわける、良心にききわける。そういう事をとおしていれば、自分の行いが必ず変わります。
そこに自然の法則の理解が加われば、自分で未病を実し、健康維持、増進ができるのです。健康維持、増進ができれば、自分の描く正義も実行しやすくなる。その正義は皆の根底でつながっている正義でもあります。
2018年春季東京操体フォーラムは
4月30日(月)昭和の日に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です。