おはようございます。
決めつけや否定から入らない。これは操体を学んでいく上で非常に大事だと思います。
操体臨床には、他の治療行為のような禁忌というものがない。
そのかわり、からだの感覚というものを重視している。
からだの感覚をききわけるから、バランスを崩して病んでしまったからだに、更に痛みを与えるようなことはしない。
そして、からだの感覚をききわけるから、気持ちよさを原動力としてバランス制御に向くからだの要求に応え、最小エネルギーで最大の効果をもたらす事が出来る。
からだを治すのは、紛れもなくからだなのだから理に適ったやり方だと思う。
日々刻々と行われている、からだのバランス制御に向けた働きというのは凄いものであり、その働きはまだまだ未知の可能性を秘めている。
その可能性にノルカソルカは自分次第。
はじめて講習に参加した頃「出来ない」とか「無理」といったニュアンスの言葉は使わないようにと言われた。
それでも私は、実技で上手くいかない時など、つい「あ~、無理だ」とか軽口をついて、注意を受けた事が何度かあった。
今、思い返すと、からだに対して失礼であり、自分で自分のからだの可能性を否定する事にもつながるのだと思う。
今、出来ていなくとも、からだと伴に在る限り、必ず出来るようになる。
人によって、そこまでに要す時間は違うだろうが、長くかかってもよいと思う。
その分、そのプロセスには基本の見直しや様々な気づきがあり、からだに対する意識感覚の変化があったり、何よりからだの尊重を元に感覚をとおした信頼関係は深まっていくだろう。
上辺だけすぐに出来て、その奥にある学びの深さと有難さを知らないより、質の良い様々な引出しを持つ事にもつながる、とズッコケな私は思う。