おはようございます。
私は、正式に操体を学ぼうと入門した初日に、テープレコーダーの音源でも橋本敬三先生の話し声が聞けた事で、その後の操体の学びの指針を示していただいたように感じている。
橋本敬三先生の語り口。あの独特な話し声に触れた時、私は心の底というか、表面的な心ではなく奥のほうから何かホッコリして安らぐような感じを受けた。
あの感じ、感触は今でも時々思い出す。
そして、何故あのような感じを受けたのだろうか?と想いを巡らす。
橋本先生の想念の根本を成していたのは、救いの生命観なのだと思う。
救いの生命観の説明はしないが、否定という言葉が似つかわしくない事だけは確かだ。
否定がないと感じられるから、受け入れてもらえていると感じられる。
だから、安らぎや安心につながるのではないかと思える。
否定から入らない。これは操体を学んでいく上でも非常に大事だと思う。
操体は対立させて、白黒つけるような事は望まない。
だから、決めつけや否定がない。
「こういう事をやってはダメだ」ではなく「それも良いけど、それだったらこういうふうにやった方が、もっと良いんじゃない」という感じだ。
だから、ズッコケな私でも受け入れてもらえたし、20年近くも学び続けていられるのだと思う。