「くいつく」 というのは、自分の身を生かすために働くことであると、昨日述べた。 そして、働くという労働は自分の可能性の限界まで動くことで、初めて価値を生じるのである。 通常、人間の労働には、「感情」 と 「思考」 が参加していなければならない。 このどちらかの機能が欠けると、労働の質は、昨日述べた二つの脳だけで働く動物と同じ水準になってしまう。
人間らしく働くことを望むのなら、人間らしく働くことを学ばねばならない。 この区別はわけなくできる。 動物と人間を見分けることができるように簡単であり、知性でもってすぐ識別できるようになる。 我々は今まで労働について、人間らしく働いてこなかったと言えるが、人間らしく働くことを学ぶ可能性は十分にある。
人間らしく働くということは、今、現にしていることを感じ、なぜ、何の目的でしているか、今どのようにしているか、昨日はどのようにしなければならなかったか、明日はどのようにしなければならないか、概してどのようにするのが最善であるか、あるいはより良い方法があるかどうかを考えることである。
正しく働いている人は労働を次々に改善していく。 ところが、二つの脳しか持っていない動物が同じように働いても、昨日も、今日も、明日も変わらない。 これについて、我ら操体の同胞たちは、三浦寛師の身近にあって、その改善の現実について身をもって体験しているようだ。
操体創始者である橋本敬三医師から派生した操体流派を名乗る各派の殆んどが、何の進歩発展も見せていないという現状がある。 これは一体どうしたことか。 今は橋本敬三医師の努力のおかげで、操体医学について、正しい知識を容易く学ぶことができる。 しかし、それらの知識だけで、からだの構造運動力学については、もう何でも分かってしまっていると考えたら大きな間違いである。
まだまだ、我々のまえには、未知の事柄が数多く満たされている。 橋本敬三医師は生前、弟子らに 「操体は一生楽しめるぞ!」 と言い放ったそうだが、その真意には、これらの未知の事柄については、「こんどは、これから君たちが責任を負うている。 この未知の事柄を探し求めて、君たちは進まなければならない」 と、言っているに違いない。
三浦寛師はまさにそれにくいついた! 未知の事柄について、終わりのない研究をやり続ける師の理論は、時の流れとともに絶えず進化している。 それは 「変化こそ生命」 というこの一言に尽きる。
明日につづく
4月30日(月)に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です