今まで接してきた物事のなかで
自分はどんなことにくいついてきたか。
その遍歴を振り返ってみると、
ほぼ共通していたのは、
「何もなくてもできる=身ひとつあればできる」というキーワードだった。
例)
トゥバ共和国のホーメイ → 伴奏楽器がなくても、身ひとつで摩訶不思議な倍音を奏でることはできる。
お芝居の出前 → 上下黒の格好で小道具も衣装も不要。絶対的に必要なのは観る人の想像力。
操体 → 道具は基本的に必要ない(使おうと思えば、使える自由度もある)。
どれも「からだ」さえあれば、極端な話、場所も選ばず実行・実現可能。
自由度というか、可能性というか、ほどよい「軽やかさ」を纏っている。
そんなことにくいつきながらも、油断すると「~がなきゃできない」のような
考え方にシフトしていることがある自分、というのも事実だ。
操体という大きな器のなかで、身ひとつへの憧れを
未だ育てている最中なのだと思う。
2018年春季東京操体フォーラムは
4月30日(月)昭和の日(振替休日)に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です