「可能性」と言ったら、もう少し前向きな話が書けるかと思ったのですが、ある本をきっかけに「小さい頃の自分」が、いかに「嫉妬によって可能性を潰されていたか」ということを思い出しました(本当のトラウマは、記憶から抜けているそうです。
子どもの頃は、世の中のこともよく分かっていないので、親に突然殴られれば「自分が悪い」とか「怖い」という気持ちを持ちます。
そしてもう一つ思い出してしまったのが、何か嬉しいことがあって、親に報告しようとした時に、突然別のことで怒られて、父親に殴られたことです。
それは何度も繰り返されたので、私は中学高校時代、父親とは殆ど口を聞きませんでした。
「父親に何か話すと殴られる」という学習をしていたから。
また、何か伝えるにしても、殴られるのが怖いので、上手く話せません。そうすると「お前は何を言っているのか分からない」と、殴られます。
というわけで、見事に「学習性無力感」が一丁できあがるわけです。
いや~、こうやって考えてみると、小さい頃の私って、何て大変だったんだろうと思います。
今だから冷静に思い出しましたが、本当に大変だったんだね小さい頃の私よ。
そして、そこから長い時間をかけて這い上がってこれたのは、操体のお陰です。
うちの親は、未だに「操体なんてフン」という感じで、娘が本を出そうが、雑誌に執筆原稿が載ろうが、ヨーロッパに招聘されて講演をやろうが「フン」という感じです。
後輩や同門の皆さんの親御さんが操体を認めてくれるという話を聞くと「へ~。すごいな」と思います。
今までは結構「何で認めてくれないのかな」と、悲しくなる時もありましたが、
「あ、嫉妬だね」と分かったのです。
「嫉妬は発作なので、子どもに愛情が有る無しは関係ない」ということなのです。
「嫉妬の仕組み」が分かると、可能性が開けます。
「他者(親や親戚含む)からの嫉妬」から逃れることができるのです。
また、当然ながら自分も他者に嫉妬を飛ばすことがあります(発作だからね)が、
分かっていれば「あ~、今嫉妬飛ばしてる」と気づき、気づけば納まるのです。
これが分かった時、長年のしこりというかわだかまりというか、それが解けたというわけです。
また、最後に一つ。
嫉妬から解放されると、からだの痛みが消えたという症例もあるそうです。
「息食動想」の「想」に関係するところですね。
一週間ありがとうございました。
明日からは三浦寛先生です。