この世界は七十数年前に
陽の時代から陰の時代に時が変わったと言われる。
確かに全てのことが今のままでは間に合わない、
対応しきれない状態に追い込まれている。
操体法も流れが大きく変化した。
「楽から快への転換」である。
今、「快」への問いかけが問われる時代に入り、
さらに「快」を超えた問いかけに入っている。
しかしこうした変化にどう対応していうのか。
それは、必然性の中で生まれていることなのであるが、
なぜなのか?ということは従来の対応では間に合わなくなってきているのである。
操体法もこれからも存続していくのか。消えてしまうのかの「危機」に直面している。今のままでは、消えて無くなっていうのであろう。
今までの常識にある通念を疑ってかかる必要がある。
疑ってみることによって、何かがおかしいことに気づくことになるだろう。
この疑問、つまりクエスチョンの中に危機を乗り切るヒントが埋もれている。
その一つでもチョイスさえできれば、甦ることも可能である。
そのクエスチョンを問いただしてみぬ限り、
いくら体制を強化し制限しようとしても本体そのものの中身が不明瞭である限り、
手当の施しようがないのである。現状維持すら崩壊するであろう。
この疑問に気づかないということは今まで学んできた意味がないともいえる。
そのまま、あの世に引きずっていっても仕方がないことなのだ。