以前読んだ東洋経済ONLINEのサイトで常識を疑うことにおいて重要なのは「常識を疑う態度を身につけるということではなく、見送っていい常識と疑うべき常識を見極める選球眼を持つこと」と書かれていました。
私も日々操体の学びの中で「これで本当に正しいのか?」と思うことがありますが、自分の感じたことが正しいのか、または今までの理論が正しいのかの判断をする事がなかなか出来ません。
そういった疑問の解決の糸口は自分の感じたことよりも、まずは一般的な捉え方を基準にしてしまいますが、この一般的な基準が正しいのかと思うこともありますし、もっと言うならば世間の常識が自分の発想や感性を窮屈にしているようにも感じることさえあります。
よくアスリートでも常識とされる超えた成績を収める選手は日々のルーティーンを大切にし、自身の感覚を基準にトレーニングをしていると言われています。
こういった人程、常識の縛られずに疑う目を持ち、先程書いたような選球眼を持ち合わせているように見えます。
私達もそういった常識に縛られない判断が出来るようにしていくことが学びの本質としてあると思います。
そこで大切になってくるのが「からだが聞き分ける感覚」になるのではないでしょうか?
からだは私達が知らない答えを知っているのですから、そこに答えを委ねてみるのも自分の価値観、常識を超えていく一つの方法なのだと思います。