このテーマに決まってから自身の今までを振り返ってみると、学ぶということにしても臨床にしても若い頃に信じられなかった非常識的なことが今の自分の当たり前になっていることに気が付きました。
皮膚に触れるだけの臨床にしても、また空間を通じて人を診ることが出来るようになったのも、それまでの自分の価値観で操体を捉えずに受け入れることが出来たからだと思います。
そういう自身の変化は生き方にも影響し、操体の学びを得てから自分の中の一番の変化は人や物事に対してまずは受け入れられるようになったことだと感じています。
昔は自分の価値観に反するものや思っていることに対し、否定的な意見や言葉があると真っ先に対立していましたが、今はまずは聞き入れそこから相手の意を汲み取るようにしています。
こういった自分の中の変化で感じることは今の私は常識、非常識というものの基準が私ではなく、からだとからだが聞き分ける感覚で判断するようになったということです。
もちろん最低限の人として、社会人としてのマナーは別にして、からだに関する常識は自分のからだを通して納得することが出来なければ、本当に良いとされる物でも受け入れないようになってきています。
このようにからだを主体にして物事をみていくと世間では非常識な臨床もからだからすれば常識なことのように思えてきます。
操体の常識は世間の非常識という一つの要因はこういったことがあるのかもしれませんね。