「操体の常識は世間の非常識」という話を寺本君が書いていましたが、
「症状疾患にとらわれない」
「痛くない方に動かす」
「二者択一の場合、楽なほう、辛くない方だけをやればよい」
「きもちのよさで良くなる」
「皮膚に接触(指2本)で操法を行う」
「触れないで治療する」(気功とは違います)
「操者、患者、患者のからだ、の三位一体という見方をする」
また、
「頑張るな、威張るな、欲張るな、縛るな」
の「頑張るな」などは、頑張り屋さんの多い日本の皆さんにとっては「??」
「頑張っちゃいけないの?」ということになります。
「頑張るっていいことじゃない?」
(かといってだらけていいとか、だらしなくしてもよい」ということではなく、「作法に従いなさい」ということです)
なお、以前、全国操体バランス運動研究会に参加した時、かなりの方、また、ある程度の年数をやっている方々が、発表時に「がんばります」という言葉を多用していたのには驚きました。
そして「うつ病の人に『頑張れ』と言ってはいけない(頑張れなくて辛いのだ)」ということは、人様を癒す、ケアする立場にあれば常識だと思うのですが。。
「自分の常識は他者の非常識」ということなんですね。
彼らは「操体コンサバティブ派」あるいは「操体原理主義者」(つまり「万病を治せる妙療法」が唯一の操体の教えであり、他は認めないという姿勢の方々)なのですが、橋本敬三先生の思想を支持するのに、なんで「頑張る」っていうんだろう、と思いました。
「救いと報い」という橋本哲学のコアを学んでいれば、「頑張らなくてもいいんだ」ということは、わかるハズなんですが。
これは、私にとっての「操体の常識」が、「操体やってても操体の常識が通らないこともあるんだ」ということに気づかされた出来事でした。