東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

私の操体史(三日目)

話は戻ります。
 
 
なお、私が行っていた学校は当時秋葉原にあったのですが、行く途中に「操体法」という黄色い大きな看板がありました。

「津田温古堂」と書いてありました。
そこまで見れば、一度受けて見ようとか思ってもいいはずだったのですが、何故かそういうことは全く考えず、一度も行かずじまいでした。
 
これも考えてみれば不思議なことです。後に、ここは故渡部栄三先生が預かっており(津田先生という先生は、すでにお亡くなりになっていた)、渡部先生亡き後は、三浦先生の古い受講生の方が代表をやっているようです。
 
そして、私が最初にならった操体は、いわゆる「連動操体」(根本先生と滝津先生系)だったことを、何年かたって知りました。
 
そして三年後くらいに、操体専門で開業したわけです。
その間にちょろっと接骨院のバイト(頼まれた)をしたりしましたが、治療院形式は自分には向いてないなと感じました。

つまりは、どこかでインターンとかもせずに、いきなり自分で開業したわけです。
(あれ?三浦先生と同じ?)
それも、派遣社員との二足のわらじでしたが、治療院をどんと構えてという形ではなく、別枠インカムも確保しながら操体をやるというのは、今考えてみると良かったのではないかと思います。
 
また、私がラッキーだったのは、業界内でも比較的早くインターネットでサイトを公開していたことでしょうか。
私自身、NIfty-Serveの頃からパソコンを触っており、アメリカの掲示版とか覗いたり、1994年には、Macを使っていました。
サイトを立ち上げたのは、1998年のことです。
そして、治療院系というのは自分の店舗のPRばかりですが、私は「操体の紹介」というように、当初からポータルサイトを目指しました。
 
その結果、1998年に、モダン出版から、操体の本を書きませんか、という話を頂いたのです。
 
私なんぞは無名のわけわからんヤツでしたが、1999年に本を出版することになりました。
さて、この本ですが「操体は何でもかんでも『たわめて脱力』「ためてストン!』みたいなコンセプトでした。
そして、私は「何でもストン、じゃないよね」という感じがしていました。
 
 

今年も操体マンダラ、海の日に開催致します。

※「操体マンダラ」とは?

三浦寛が一日、操体の最新情報について語る、操体三昧の一日です。 弟子一同にとっては「師匠孝行する日」。

 

昼食会 サイン色紙&ツーショット撮影会

足趾の操法®アドバイザー認定

開催日時:2019年7月15日(月)海の日 10時〜21時 ルーテル市ヶ谷センター

★予約制で、当日の参加受付はありません。ご注意下さい

https://www.sotai-miura.com/?p=1314