「頑張って~!頑張って~!ファイトファイト!」
あの頃、視界に入るだけで痺れちゃうような可愛いあの娘。
ワタシが高校二年生の時、顧問の先生に頼んで入ってきてくれた、
柔道部の可愛いマネージャーは、当時童貞の自分には眩しすぎた。
なんとか、先輩として格好いいところを見せたいと考え続けた時、
185㎝で90㎏の先輩と乱取りをして投げられずに頑張ってみたら、
『ブチブチッ』先輩の掛けてきた、巻き込み払い腰を力んで防ぎ、
その後半年近く、左膝が曲がらず正座ができない状態になった。
当時のワタシに指導するなら、頑張るとは、勘違いを含んでいる。
純粋なだけなら、怪我など望んで向こうからは近寄らない。
邪(よこしま)な想いとは、本来は害悪なものではないのだから、
”くいちがい”という語源は邪で、自然から発生した歪(ひずみ)。
操体では、自然ではないこと、極端なことを伝えない。
そもそも、通常は起こりえないことに関して行えば、歪みとなる。
淡い恋心は自然。
そこに邪な想いを重ね続けていれば、不自然な感じも気付かない。
あわよくば『デヘヘ』的な欲張りも、頑張りを起こす元になる。
自然の想いは愛、過ぎることはなく、満ちることなく注がれる。
操体は古傷を癒やし、今のワタシは美しき”左鵞足”を愛している。