「気合い!そういうことじゃないの(笑)」
ブログも四日目ですので、気分を変えて書きたくなりました。
力を抜きすぎな感じの人は「頑張る」に、どの様なイメージがあるか。
身近で(ワタシからすると)人生を綱渡り的に繋げている達人を探し、
そばにいた長女に訊ねると、「う~ん」といってしばらく黙ったまま、
ようやく口を開いたと思いきや、笑って「気合いかなぁ」と言われた。
世の中を気合いで乗り切ることを「頑張る」イメージにしてるなんて、
長女に怒ってばかりいたワタシの立場からすれば、なんて素直な娘なん
だろうと、一瞬で想ってしまい、馬鹿な父親だなと心にしまいました。
閑話休題、元に戻します。
さて、操体で「頑張る」という言葉は、言うまでもなく戒めの一つです。
何故戒めになっているのか、ワタシ自身考えてきた理由のひとつには、
明確な目標もなく、無駄な力を込めている事をイメージしてしまいます。
そもそも、当たり前のようにできる事なら、頑張るとか、頑張りますとは、
普通に言わないでしょうし、頑張ってますとは、使いませんからね。
それでは頑張らないためにも、自然とは何なのでしょうか。
ワタシ自身の言葉で表現するなら、日々の積み重ねではないかと考えます。
少しづつ、少しづつ、継続している事こそ自然にできてしまうように。
自分に出来るかどうかわからない事、自分のできる範囲を超えている場合。
これは、頑張らなくても自然にできてしまった、という成長の証ですよね。
このことは、操体を学問にしていると、頑張らずとも自然になるようです。