「がんばる」についてはとても大切な思い出がある。
操体を勉強し始めてから「バルの戒め」を習い、
特に「頑張る」という言葉の使い方については
その意識が自分の周囲やからだに影響することを知り、
気を付けるようになった。
自然と自分の口にする言葉のボキャブラリーから「頑張る」はほとんど消えていた。
これは操体を共に学んでいる同志からも感じられることだ。
各々、自分自身が普段どんな言葉を使っているかを大事にしている。
私事で恐縮だが、数年前、父が他界したときのことを思い出す。
それはあまりに突然の出来事だったので、その当時しっかりしなくてはという思いを持ってはいたけれども、とても動揺していたように思う。
そんなとき、友人やお世話になっている方から、静かに支えていただいた。
父が急に亡くなって、すぐに操体のとある兄弟子に電話で報告したときのことだ。
その方から普段「頑張る」という言葉をほとんどきいたことがなかったのだが、
一通り、話を聴いていただいた後に、
「普段は使わないけれど、こういうときは使ってもいいと思うから」
という一言を添えていただいた後に、
「がんばって」
という言葉をもらった。
これは効いた。
バラバラだったものがスッと納まったように感じた。
こういう言葉の使い方を、人間はできるのだと教えてもらった。
言葉だけに責任があるのではなく、
それを用いる人間の側に委ねられているものがたくさんあるように感じている。
一週間のお付き合いありがとうございました。
明日から友松実行委員の登場です。
おたのしみに。