学生の時は「頑張れ!」という言葉は少し嫌いな言葉だったように思います。
特に勉強嫌いだった私にとってからだを動かすこと以外のことは自主的に自分から取り組むことが出来ず、その中で頑張れと言われるとその言葉は自分に苦痛を与えるものとなっていたと記憶しています。
私自身は特にスポーツの試合では自分自身にこの言葉を投げかけると不思議な力が得られたように感じましたが、自分が自主的に取り組んでいないことの中で投げかけられるこの言葉には心のどこかで反発してしまうような気がしました。
それは他の人達も同様に自身が置かれている状況によっては「頑張る、頑張れ」という言葉は力にもなり、プレッシャーにも成りえる不思議な言葉だからだと思うのです。
だからこそ、この言葉を使うときには自分自身、また相手の置かれた状況を踏まえた中で使う必要があります。
操体を学ぶ前まではこういった言葉の持つ力には気が付くことなく、当たり前のように使っていましたが、今では使う言葉の選択も全てからだが悦ぶがどうかを一つの基準にして使うようになりました。
そういったことを判別する力は臨床の中でも活かせることであり、テクニックや技術以上に必要なことのように近頃は感じています。