からだからのメッセージのようなものは、
特別な場面でなくてもとても身近に受け取っている。
例えば、「風邪をひいて熱が出て、喉が痛い」という類のメッセージは
よほど、根詰めて何かに取り組んで突っ走っていない限り
からだに照準を合わせなくても自ずから感じられてくる。
イヤでも、からだから伝わってくる。
「何となく調子が良くない」というわずかな変化でも
感じることのできる人は、普段の生活のなかで自然とキャッチできている。
「お腹がいっぱい」というメッセージなら、
膨満感やげっぷなどから日々のなかで当たり前のように受け取っているだろう。
上記のようなメッセージを受け取っては、
その内容を踏まえて休息をとったり、時に従わないで食べすぎたりと、
意識的に、または無意識に振舞うということを繰り返している。
からだは言われなくても、心臓は動くし、小さな傷であれば治るし、
内臓も各々の役割をマイペースで果たし続けるなど、自然とバランスをとるように絶えず活動してくれている生き物のようだ。
からだからの様々なメッセージも、ある意味ではこのバランス現象の作用の一つのようにも考えられる。
メッセージに従うことは、ととのうことの追い風になり、
従わなければバランスが取れてくるまで、
余計に時間がかかってしまうことだってある。
とてもシンプルに、のるかそるかできればいいのだけれど、
そうも簡単にはいかないところがもどかしい。