ウイルスはそれ自身では細胞を持っていないそうだ。
細胞を持っている生き物のからだに侵入し、細胞に入り込むことで
活動を広げたり、増えたりすることができる。
そして、周囲にその影響力を拡げていく。
これ、「ウイルス」を「不安」と置き換えてみても
その様子とても似ているなと感じた。
「不安」もそれ単体で存在しているわけじゃない。
それを抱く人がいて、その人の想念のなかに不安が入り込んで場合によっては増殖する。
そして、その膨らんだ不安は、周囲の人にも影響力を持つ。
そんなことを痛切に感じることも、この数週間多かったように思う。
気が付かないうちに自分だって、周囲に色々な影響を飛ばしているんだなと。
そんなことを考えていると、自分を包んでいる周囲の存在感というものが
また一層ガラッと変わってくるように感じられた。
自分を取り巻く環境に現れる出来事が、調和しているように感じられても
また不調和なことのように感じられても、そのどちらもは「局所的」に起こっている事じゃないんだと思わずにはいられなかった。
自分と切り離した他者の振舞いだけで帰結することは済まない。
自分自身の振舞いともおおいに関わり合っていて、もっと空間的な出来事なのだと思うようになった。
手始めにではあるけれど、ここ最近、何か自分の周りに不調和に感じられることが起こっているときは、少し間をおいて「自分」を点検してみることをしている。
大抵そういう時は、何かしらの「無理」や、「がんばり」をしているときが多く
そこに「仕方がない」という言い訳が必ずセットになっているから面白い。
何かを自分の思い通りに実現させることで頭がいっぱいなのだ。
周りが見えていない、脳内が低酸素状態の時に、はたと身に沁みて感じることは
操体で何度も耳にしてきた「ゆだねる」という「うごき」の意味が
わかってなかったんじゃない?という発見だった。
このことに関してのヒントは既に何度も操体から教えてもらっていた。
ゆだねることで、うごくこと。
うごくことは、ゆだねること。
このことをテーマに、操体からのヒントを種にして
また新鮮にこれからに生かしていけたらと感じている。
1週間のお付き合いありがとうございました。
明日からは友松実行委員の「とばす」が始まります。
どうぞ、明日からまたおたのしみに。