いのちをまもるための「自粛」期間のなかで、
気が付いたら社会的にも、肉体的にも、精神的にも
もしかしたら必要とされていること以上に縮こまっていたんじゃないか、
そう感じている。
自分の「せいかつ」ってなんだろうか。
生活であり、精神活動でもあり、また生命活動でもある。
そこからあらゆる動きが、自粛の名のもとに
失われてしまっていたように感じていたが、
失われた動きに関して意識するようになって
あれ待てよ、と気が付いた。
生命活動はどうだろうか。
こころとからだは相関しているので、
食欲がなくなったり、呼吸が浅くなったりは当然しているかもしれない。
でもそれでも、心臓は動き続けているし、呼吸が動きをとめることもない。
細胞や、人間のからだを支えてくれている微生物群も活動をやめることはない。
もしそれらが一つでも動くことをやめてしまっていれば、
こうして朝を迎える事はできていないはずだ。
僕らがどんなに自粛ムードのなかにいて
いつもの「リズム」を乱されているように感じていても、
生命活動の営みの「リズム」は、
もしかしたらいつものようにそれほど変わらず営まれ続けているんじゃないか。
そんなことを感じていると、失われているわけじゃなくて
それは単なる錯覚だったのだと思えるようになった。
「自粛」について、少しシンドクなってくるようなことがあったら、
その陰で、このいのちを変わらず支えてくれている
生命活動のリズムのことを、思い出す時間をもってみるのはどうだろうか。