東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

寄生虫感染症から身を守る

 地球上には多種多様な動物が生存している。 そういった動物の生命活動のほとんどが食糧や酸素を得ることと種族保存のための生殖活動である。 しかし、その生存活動は過酷であり、それぞれが生存に有利な場所を選んで暮らしている。 そんな中で寄生虫という生物は、自然環境の中で自由に生きることよりも、生活の場をほかの生物である植物や動物の中に求めたようだ。

 

 しかし、寄生されたほうの生物、すなわち宿主にとっては迷惑千万であり、寄生虫感染症に陥ってしまうことになる。 確かにヒトなどの宿主にとっては寄生虫の被害は甚大であり、現在も多くの人を苦しめるマラリア原虫がその典型である。 しかし、その寄生虫の感染する手段を知ることで、感染予防の知恵に転嫁でき、健康維持に役立てることができるので是非身に付けておきたい。 

 

 人間社会から寄生虫が撲滅される可能性はまったくなく、人間はこれまでも、そして未来永劫において寄生虫との共存生活を続けていくしかないのである。 寄生虫感染を恐れることは仕方がないが、過剰に恐れて生きていくのは、衣食住の生活様式を行ってゆく上での楽しみが極端に減ってしまう。 また、逆にあまりにも感染を無視する根拠のない蛮勇は、後悔しか残らない。 この世界で生きてゆくなら、何が安全に食べられるのか? どのような行為が危険なのか? というようなことを熟知して寄生虫と共存していくことこそが健全な自然のサイクルに準ずるのではないだろうか。

 

 そんな寄生虫はまるでユダヤ商人のようにしたたか者である。 ほかの生物の中で生存するという戦略は驚嘆という言葉しかない。 寄生して宿主を死なせてしまっては寄生虫自身も死んでしまうことになるので、寄生する礼儀をわきまえている。 また、寄生虫は自分の成長に併せて、次から次へ宿主を渡り歩く特技をどのように身につけたのであろうか? 進化の偶然、と言うにはあまりにも巧妙であり、誰かが詳細に計画を練り上げ、それを実行指南したのではないかと思ってしまうほど完璧な生命活動である。

 

 寄生虫感染は、ヒトからヒトへの直接感染ではなく、感染媒介のベクターや中間宿主になる動物を介することが多い。 いわば地球上の生物群で相互依存的な関係でバランスを取りつつ、幾世代にわたって生存しているのが寄生虫である。 そのような寄生虫感染が成立するためには特定の条件がある。 その条件を避けさえすれば感染しないということだ。

 

 ヒトに感染する寄生虫は、極めて限定的であり、そのヒト感染する寄生虫であっても、感染が成立するのは、特定の発育段階の寄生虫(感染形)が特定のルートを通って好適宿主に侵入した時のみである。 つまり寄生虫を過剰に恐れたり侮ったりせず、寄生虫と適切に付き合って共生するための知恵、すなわち 「知っていることがワクチン」 だと言われている。 ただ、人間にとって脅威なのは人獣共通感染だ。

 

 人獣共通感染は宿主特異性が低くヒトにも脊椎動物にも感染する。 ペットのイヌ・ネコの感染病原体は飼い主にも感染する可能性がある。 ペットと一緒に寝たり、キス等をするのは、赤痢アメーバ等の感染が懸念される。 また爬虫類等の珍しいペットは、いかなる病原体を持っているのか予測困難である。 さらに野生動物ならば100%が感染しているとみて間違いない。 野生動物との不用意な接触は厳に慎むべきである。 食品衛生についても寄生虫感染予防は重要であり、特に魚に関してはサバに寄生するアニサキスだけでなく、最近話題になっているクドア、これはヒラメ等の魚の筋肉に寄生する粘液胞子虫であり、刺身等の生で食するときには十分注意する必要がある。

 

 寄生虫もヒトと同じ真核生物からなる多細胞生物であり、地球型生命として同じ代謝の仕組みを持ち、同棲関係という空間的、機能的密接さの中で互いに切磋琢磨しながら進化してきた。 そして敵対関係もあるが共存関係もあり、その共存関係の中でも特に 「衛生仮説」 が興味深い。 それは寄生虫感染が激減してくると、寄生虫に感染していない世代がアトピー性皮膚炎や花粉症等のアレルギー性疾患が激増したというもので、この現象をどう見ればよいのだろうか?