からだの使い方を指導する上で、「手は小指、足は親指」という考え方がある。
これは橋本敬三先生の時代の般若身経の根幹にあった基本原則で、創始者の言葉をそのまま引用させてもらえば、「運動の根本は体の中心(腰)に重心を安定させてやることである。そのためには、上肢では手の小指側に、下肢では足の親指側に、力を入れるように動くとよい。」となる。
腰を要としたからだの使い方のコツのひとつであり、「手は小指、足は親指」は「~道」や「~術」、「芸」に関わる日本の文化の中には、ほぼ暗黙の了解事とされている、一種の秘伝のようなものだと思う。
般若身経にももちろんこの基本原則が浸透しているが、このことを日常動作のなかで分かりやすく理解してもらうときによく出て来るのが、「雑巾の絞り方」だ。
絞り方ひとつで、そのひとのからだの使い方が理に適っているか、否かをおおまかに判定することができる。「手は親指」になっている人の絞り方は一目瞭然である。
からだの使い方を学習する前、雑巾の絞り方を無意識に手の親指側に力が入るように絞っている方は結構多い。
先日、般若身経を学習し始めて数ヶ月の方に、再び雑巾を絞る型をみせてもらうことがあった。この方も一番最初は「手は親指」の絞り方に当てはまるタイプだった。
本人も指導を受けてから色々試行錯誤されている様子が、絞り方から伝わってくるし、細かいところではなく、もっと全体的な何かが変化しているようなものを感じた。それまで、手だけで絞ろうとしていたものが、からだ全体の出来事に変わりつつある感じ、とでも言ったらいいだろうか。
般若身経が雑巾の絞り方にも宿りはじめているような、そういうことを感じさせてくれる、大変興味深い経験となった。