ご婦人に左手を内旋するように促し、介助、補助、言葉の誘導を用いて、全身の動きへとつなげていく。きもちよさも、味わってみたい要求も、からだにききわけていただけたようだ。
こちらにもきもちよさを味わっている感じが伝わってくる。
その間がしばらく続いたので、「今どんな感じですか?」と伺ってみると、
「天国にいるみたいで、きもちいいねえ」 とのこと。
そこまでの答えが返ってくるとは思っていなかっただけに、内心「おおっ!」という感じだった。
施術後、日課にされていた施設のカーテンを閉めに、元気よく車イスを漕いでいかれた後ろ姿が印象的だった。
現場で操体法をするのは多分初めてに近かったと思うけれど、「からだにききわける」って凄いなと、第三者を通じて感じられた出来事だった。
初めて操体法を目の当たりにした特別授業の中で、もう一つ印象に残っていることがある。
講師を務めてくださった先生が「今は操体法も楽とか、快とか、分かりづらくなっているけれど……」とおっしゃっていたことだ。
当時は、何のことだかさっぱり分からなかったけれど、「からだにききわける」ということを学習してきたお陰ではっきりした。
「快」を受けとることができるのは「からだにききわける」からこそで、それを体験できれば、「楽」と「快」の違いは識別できる。
けれども、思考すると(からだにききわけないと)、「快」は全くの別物になってしまう。以前の「私」が勘違いしてしまったように。
もし、操体、操体法を学ぶなら、「快」とは何なのかを学ぶなら、「からだにききわける」ということを指導してくれる人の下で学んだ方がいい。
たとえズッコケることがあったとしても、ちゃんと気づかせてくれるから。
一週間ありがとうございました。
明日からは寺本さんの「私のズッコケ操体クロニクル」です。
よろしくお願い致します。