東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

私のズッコケ操体クロニクル~操体以前のからだと私~

瀧澤さん一週間のズッコケクロニクルありがとうございました。

本日からは寺本が担当します。

テーマは引き続き、「私のズッコケ操体クロニクル」です。

宜しくお願い致します。

 

思い返してみれば、操体ビフォアー時代は

からだを使うことに関して、とことん苦手意識の強かった私。

 

中学校時代は何となくバスケ部に入部。

ただただシュート練習をするのは大好き。

でもドリブルの仕方がよく分からず、

試合も自分が出場するよりは応援する方が好きな私は

ガード(PG)というポジションを与えていただきながらも、

逆に縮こまってしまい、結局2年生になり退部。

(今、「ガード」について考えるてみるととても興味深いのですが、

その当時はそんなことを考えることもできず、ツラかった、、)

捻挫含め、怪我も良くしていました。

 

高校では同じような思いはしたくないと、

運動部からは遠い軽音楽部に入部。

(しかし、これも振り返れば、楽器を持ってからだをどう使うか

ということはよくわからないなあと感じていたことを思い出し、

何か様になっている友人の姿を見てはなんだかなあと感じながら

ランディVの逆Vをがむしゃらにかき鳴らしていた高校生の私)

 

大学では御縁で探検部に入部。

山登りやラフティング(川下り)に精を出しました。

先輩に引っ張ってもらっていろいろな経験をすることができましたが、

運動神経を要求されることはやはり苦手だなあと思っていた私。

ラフティングの大会に出るために週末、荒川や多摩川に通って合宿するのは

楽しかったけど、やっぱり苦手意識の中でやっていたことを思い出します。

この時代はすべて「勢い」だけで物事をこなしていた時期。

がむしゃらに自分の思い描いた計画を遂行していくという中で、

計画の甘さも、多少の無茶もすべて若さが吸収してくれていたのではと思います。

 

大学を卒業後、福祉の仕事をしながら民族音楽の世界に足を踏み入れますが、

並行してこれも御縁で芝居を届ける少数精鋭部隊に混ぜていただくこととなります。

この時期にまたからだを使うことへのわからなさ、苦手意識にぶつかっていました。

それを抱えたまま無我夢中に手探りで活動を展開していたことを思い出します。

 

その頃から、無理無茶をしたことが後日にも残るようになり、

今から10年以上前ですが、周囲におすすめの施術があれば頻繁に受けに行ったり、

タイ古式マッサージなんかも好きで良く行っていました。

 

間に合わなさ、を身をもってひしひしと感じていた時期です。