得体のしれない「操体」の門を叩き、
前知識ゼロで臨んだ操体法東京研究会の講習を体験し
それまで味わったことのない、「学ぶ」という空間そのもののように感じた当時の私。
思えば昔から、何かをストイックに習うとか
師事するということに憧れを感じていた部分もあって、
そういう学びのイメージがぴたりと重なるようでした。
前回の秋季のフォーラムのテーマが「操体法クロニクルズ」だったので、
過去のノートをあさっていたところ、この第一回目の講習のノートが発掘されました。
頁をめくると、当時感じていたことが蘇るようで、
「あぁ、こういうことがききたかったんだよな」という思いで
講習を受けていたことを思い出しました。
それまで、自分のからだのことについて、どうやって使ったらいいのかなど
わからないわからないと思いつづけてきたことの答えのようなものを教えてもらっていること。
また、はっきりと意識することはなかったけれど、漠然と希求し、本当は学びたがっていた、「生命」についての哲学に触れられていることが無性に嬉しく、
教えていただいている言葉のひとつひとつが
スッとしみこんでいくような学びの感触がありました。
それがあまりにもすんなり自分の中に入って来るもので、
当時の私は自分が聞きたかったことが学べているという充実感もあり、
嬉しさのあまり、私が「操体」という不思議な学問を学んでいるということに
興味を持ってくれた人には、どんなことを学んでいるのか熱弁していたことを思い出します。。
しかし、これも今思えばとても恥ずかしい思い出で、当時の私はただただ教えてもらったことを鵜呑みにしていただけだったのでした。
操体にとって、もっとも重要なポイント「自分でやってみて、どうなの」というところがすっぽりと抜けていて、自分が知りたかったことを学べているという充足感にただただ満足していただけなのでした。