東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

あなたに操体・操体法をお薦めする理由③

 3日目からは、四つの自己責任である 「息・食・動・想」 のそれぞれについての理解を深めてゆくことにする。 この内、 「息」、呼吸について今日は述べてみようと思う。 

 

 呼吸の目的の一つが酸素である。 心臓から出発した動脈血が、500兆もの細胞に、酸素と栄養を与えきった後、静脈に入って心臓に戻ってくる。 出たときの血と、戻ってきたときの血の色は、僅か22秒しか経ってないのに、一目瞭然、汚れきった色に一変している。 

 

 からだの健康維持のために、静脈の血が悪戦苦闘して、見るも無残な姿をして戻って来たのを知れば、ねんごろに呼吸をして迎えてやらねばならないと思う。 あらゆる癌は、酸素の欠乏が原因であるのに、その真因を問わずに、オペだ! レーザーだ! 抗癌剤だ! といって医療に駆け込むことは、決して真の健康につながるものではない。

 

 心臓が悪いのも、血圧が高いのも、神経痛や筋肉痛も、素因はみな酸素の欠乏であり、呼吸が直接に関係している。 そのような呼吸の働きは血の質を良くするだけでなく、血の巡りにも関与しており、血の質と血の巡りという二つの相乗性が、呼吸を価値あるものに高めてくれる。

 

 その価値ある呼吸の基本は、「長息・止息・腹息・吐息」 である。 まず 「長息」 から始めたい。 息を吸って肺に入る空気は呼吸気管を経て、ついに7億を数える肺胞にまで至るが、そこまで空気が達しなければ、汚れた静脈血を清めていくことはできない。 そのためには、その空気を到達させる時間が必要となり、その時間が長息なのである。 ゆっくりと十分に吸い、またゆっくりと十分に吐いていくというのは、肺の器官が保護されるばかりでなく、酸素と炭酸ガスの交換がきちんと行われることになる。 ゆえに長くて深い呼吸の必要性がそこにある。

 

 次に 「止息」 であるが、我々は一日のうちで何度も無意識的に息を止めている。 何かを注視して見ようとするとき、誰でも自然に息を止めている。 なぜなら注意力が高まるからであり、重いものを持ち上げようとするときにも息を止めるのは、筋力がより一層強まるからである。 吸息によって十分肺が膨らんだ時に、その息を止めることで畏縮しがちな肺胞が、これによって十分拡張することを覚え、肺活量が増し、酸素の吸収力も上がってくる。

 

 その次は 「腹息」、すなわち腹式呼吸である。 我々人類は背骨を立てた直立二足歩行で移動し、頭脳を使って生活を営んでいることから、どうしても腹式呼吸が必要となる。 何故なら、直立二足歩行することで、腹部に血が滞りやすくなるからだ。 四足歩行動物なら背骨を横にして歩くのでこの心配はない。 しかし人類は頭脳を使うので重心が上に上がってしまい、心もからだも不安定になる。 

 

 重心が上に上がることで、肩に力がこもり、本来あるべき腹式呼吸が、肩式呼吸になってしまう。 すると、腹部に血が集まり過ぎて、その血が渋滞することになる。 そこで腹式呼吸をすることによって、腹圧をつくり、血の渋滞は解消され、血循をつくることができる。 それは同時に腹に力が入るということで、人間の心の重心である下丹田も安定し、明朗な感情と、機敏な動作を創造することができるようになる。

 

 そして、呼吸の最後は 「吐息」 について説明する。 本来、「呼息」 という語を 「吐息」 と表現したのは、仏伝文学からきた用語で、「吐」 の文字は、嘔吐に使う吐であり、邪物を吐くという意味が含まれる。 仏道の源流であるウパニシャッド思想によく似合っているので、あえてこの 「吐息」 という用語を使うことにする。 

 

 息を吐くと、全身の筋肉がたちまち緩んでくる。 筋肉に付着していた凝りが、呼息によって吐き出されたから吐息という。 病気の素因はみな筋肉の凝りにあるので、それが吐息によって消えていくとすれば、「邪気である毒を吐き出した」 といっても差し支えはないと思う。

 

 心の状態と呼吸の形は、まったく同じものであり、筋肉が緩めば、必ず心も寛いでくる。 本格的な吸息は素人にはやや難しいが、息を吐くことはやさしいので、その吐く息に乗じて十分に吐くことによって、凝っている筋肉が緩んでくる。 その筋肉が緩んでくれば、心の過剰緊張もとれてしまうので、意識ある吐息というのは、心身両面にわたっての相乗効果が期待できるものである。

 

www.tokyo-sotai.com 2021年春季東京操体フォーラム開催

2021年4月29日(木)昭和の日にオンライン・会場で開催致します。
テーマ「操体法クロニクルズ2~呼吸とセルフケア特選~(仮)」