最終日は、進化した操体の 「遠隔治療」 について述べてみる。
操体の創始者、橋本敬三医師がある地方に招かれて、雑談の中で言われたことは、「治療師や医者は、腕が上がるほど手数が減る」 という名言だった。 つまり、腕のいい医者や治療家になるほど、やることが少なくなり、あれやこれやとゴチャゴチャやったりしないのである。
これはどういう事かというと、最新の医療では、あれだけ大げさな設備や器具やダビンチのようなAIロボットまで使って、色々とやっている西洋医学に比べて、長さ5㎝、太さ0.1㎜のステンレスの鍼一本で病気を治している鍼灸とどちらが上なのだろう? その鍼も始めはたくさん打っているが、慣れてくると、だんだん減ってきて終には一本だけになって、さらに、それも打たなくなってしまう。
指圧であっても強く押える必要はなく、軽く触れるだけで事足りるようになる。 そしてやるところもだんだん減っていき、最終的には触らなくてもいいようになる。 直接触れることなく、1㎝離し、5㎝離し、1m、100m、1㎞、100㎞、1万㎞、100万㎞、1億㎞、10光年離れても治療効果は全く変わらないということになる。 これぞまさしく遠隔治療と呼べるものだ。
このような遠隔治療の原点は東洋医学にあることが、お分かりいただけたものと思う。 こういった東洋医学には 「無経無穴」 という言葉がある。 無経とは経がない、「経絡」 の経が無いということで、どの経を使おうが、そんなものは関係ない。 そして、「無穴」 の穴は 「経穴」 の穴で 「つぼ」 の事である。 これはもう無茶苦茶な医療哲学だと思われるかも知れない。
「経絡」 というのは、きちっと何経という経路があり、またどの 「経穴」 という 「つぼ」 があって、それらにはすべてその作用がある。 治療家はそれに合わせて治療しないといけないことになっている。 しかし、それを否定したかのように、最終的には、「無経無穴」 になるという。 橋本敬三医師の言われた名言の延長線上に、この 「無経無穴」 の理論があるものと思う。
さて、この遠隔治療と操体との関係であるが、操体は東洋医学というよりも 「日本医学」 と呼ばれている。 東洋医学の影響を受けて派生したと思われる操体では、治療家によって同じ経絡を使っても考え方も違っており、同じ患者さんに対しても、「一人一派」 という医療哲学がある。 となれば、「無経無穴」 であっても、ぴったりとフィットするのではないだろうか。
橋本敬三医師の高弟であった三浦寛師は、こういった操体哲学をより進歩させた。 三浦寛師の臨床を観察していると、患者さんに触れずして、あるいは離れていても、からだの中の痛いところとか、悪いところが全部手に取るように分かっているのである。 たとえば、第二腰椎のあたりが痛いから、この人は腎臓が悪くて椎間板ヘルニアになっているというのが分かっている。
第二腰椎というのは、腎臓を受け持っている脊椎なので、その部分が痛いとなれば、腎臓が悪いというのが理解できる。 しかし、何故そのようなことが、患者さんに触れずして、また離れていても分かるのであろうか、不思議に思われるかもしれない。 この遠隔治療について、進化した操体では 「呼吸」 と 「意識」 をコントロールすることによって、エナジーフィールドを生まれさせ、そしてそのフィールドは身体構造を変えることができる、というものである。
遠隔治療における呼吸は、「呼吸の営みに意識を介在させる」 ことによって、人間ひとりひとりの肉体・精神・感情・魂にたいへん大きな利益がもたされるというものなのだ。 そのような呼吸は、目に見えない循環系を動かしている生体メカニズムであり、生体エネルギーが質量に変化し、質量が生体エネルギーに変化するのを意識によってコントロールすることができる。
このような「呼吸の営みに意識を介在させる」ことは、肉体・精神・魂・環境の接点で流動的インターフェイスの役割を果たしているものと言える。 そして感情はエネルギー的なバランスをとるために生じ、上手く対応してくれる。
明日からは香さんです。