からだが悦ぶということはどういうことだろうか。
からだが悦ぶ感覚というのはどういう感覚なのだろうか。
先日臨床中に相手のからだに対して一切アプローチをしていない時間がありました。時間すらも止まっているような感覚でした。
ただただ呼吸をとおしていると途中からからだに対して働きかけようという意思がまったくなくなり、臨床中なんだから何かしなければという義務感もなくなり、相手のからだに触れることもはばかられ、そのまましばらくからだがききわけさせてくれる感覚を静かに味わっていました。
からだの邪魔をしてはいけない感じだったというニュアンスに近いでしょうか。
この感覚は毎朝起きたら行っている呼吸の作法中に感じていることでもあります。
からだをとおして呼吸させてくれているもの、ことをからだがききわけさせてくれている感覚。
臨床中にもこういうことが起こるんだなととても新鮮に感じつつ、わたしも相手もからだをとおしてその変化を実感していました。
そうじてからだもこころも軽い。
見かけ上は何もしていないようでもからだは悦び、からだが悦ぶ感覚も味わえる。
とる、とらないはあるにしても、わたしに合う、合わないの前にからだが悦ぶ感覚がある。
ほんとうにそう感じているからお薦めする理由になるのです。
一週間ありがとうございました。
明日からは寺本さんです。
よろしくお願い致します。