操体を勉強したり、実践したりしていると「柔軟性」が身につきます。
橋本敬三先生が、操体の源流とも言える「正體術」に出会ったのは、昭和初期の函館だったそうです。
そして「操体」が生まれたのは、仙台です。
「頑張るな、威張るな、欲張るな」は、操体の「バルの戒め」と言われていますが(これに縛るな、というのが加わりますが、それは三浦先生の考案だそうです)、
そもそも「頑張らなくていい」というキーワードが出てきたのは、大正9年(1920年)、橋本敬三先生23歳、千代さんと結婚した年のことです。
「平野栄太郎先生から『現象以前の自分の生命』を教示され、目が覚める」(それまで5年間色々思い悩んでいた)「性格が一転、呑気者になる」(年表より)
大正時代に「頑張らなくていい」って言っていたのは、今考えるとかなり斬新ですよね。
令和の時代になっても、相変わらず「頑張ろう」とか言ってますよね。
私が「操体って面白いな」と感じたのは「頑張るな」「頑張らなくていい」というキーワードでもありました。
そもそも操体に出会う前から「頑張れ」「根性」みたいな言葉は好きではなかったのですが、あとで分かったのは「頑張る」という言葉には
「結果がでなかったけど、一生懸命やったから、私を責めないで」とい意味があるんだそうです(自分で頑張ると言った場合)。
「一生懸命やりましたけど、っていう言葉が一番腹立つ」発言話題に 「手を抜いてもちゃんとできたらええねん」
これは少し前の明石家さんま発言ですが、これに通じるものがあります。
私が「頑張れ」とか「頑張る」という言葉に、昔から違和感を感じていたのはこれだったのかもしれません。
ちなみに「がんばるな」というのは、いいかげんにやってもいい(結果はペケ)ではなく「手を抜いてもちゃんとできたらええねん」ではないかと思います。
健康度の度合いも、60点ならまあOK、これが40点だと赤点で、医者やプロの世話にならないといけない。
がんばらない、というのは、全く手を抜いて、落第するというわけではないのです。
しめるところはしめて、ゆるめるところはゆるめる。そういう柔軟性が身につきます。
操体を勉強していると、こんなことも勉強できます。